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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

英語圏での「UFC反対論」から「食肉処理」の比喩表現についてあらためて考える。

「OMASUKIFIGHT」のhttp://omasuki.blog122.fc2.com/blog-entry-648.htmlでも紹介されているが・・・
と、その前に前提を言わないといかんな。
噂はここでもお知らせしていたが、


このほど正式にUFCでの秋山成勲vsヴァンダレイ・シウバが決定した


このブログだと、格闘技以外の興味でアクセスされる方もそれなりにいて(最近のテーマの乱雑ぶりは吾ながら驚いてます)、中には「秋山」「シウバ」ぐらいだとかろうじて知ってるよ、という層もおられるだろう。
そうなんすよ。このふたりが闘うんですよ。外国、金網格闘技UFCで。

それは日程上、来年2月ごろ、ラスベガスか、あるいは初開催のオーストラリアであるらしい。
なにしろ秋山vsシウバは、日本のファンの興味を大いに引くから、生中継や観戦客誘致で、時差のないオーストラリアでの開催を予想する向きも多い。
(前提説明終わり)



そこで本題っすが、オーストラリアはクリストファー・ヘイズマンなど強豪もいたものの、まだまだMMAは未発達。批判的論調も主流メディアには根強い。OMASUKIサイトのリンクによると、あちらの朝刊紙サイトに、こんな批判記事がある。
http://www.smh.com.au/news/sport/cage-rage-coming-here/2009/10/10/1255019652968.html

Competitors are permitted to pin an opponent to the floor and punch or elbow them into unconsciousness in a move known as "pound and ground". UFC rules explicitly ban fighters avoiding contact, faking injury or throwing in the towel, while the absence of a blood rule often leaves the octagon looking more like an abattoir.

競技者は対戦相手を床に押さえ込んで、失神するまで殴ったりひじうちをすることが許されている。UFCでは、コンタクトを避ける行為、怪我を装ったりタオルと投入する行為は明確に禁じられており、他方で流血に関する規定がないため、オクタゴンはしばしば食肉処理場のような様相を呈する。

最後の「abattoir」、あまりなじみの無い単語だが

http://dictionary.goo.ne.jp/srch/ej/abattoir/m0u/
ab・at・toir
[<F.] n. 屠(と)殺場.


http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=abattoir&stype=0&dtype=1
1 食肉処理場(slaughterhouse).
2 体技場(ボクシング・レスリング・闘牛場など).


下は2つの意味を取っているが、私がよくネタにする「DREAMがまるで競技みたいなことを」という皮肉じゃあるまいし(笑)、「UFCオクタゴンは体技場のようだ」は意味が通じん。下のように2つあるとしてもこの文章はたぶん、やっぱり(1)だと解釈すべきだと思うんですね。「食肉処理場(以上の)」と。
実は書き手(OMASUKI様)にも確認したが、むしろ下のように「1 食肉処理場(slaughterhouse)」「2 体技場(ボクシング・レスリング・闘牛場など)」と二つに意味を分けている英和辞書のほうが少ないらしいですよ。


そこで思いを再び、この単語に対してめぐらせる。
<ブログ内検索結果>
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/searchdiary?word=%c5%cb%bb%a6
やはりこの用語は意識して使っているから、書いたエントリがピンポイントで出てくるな。
本当はこの「屠殺」用語問題と、たとえば最近の学校教育の一部で意識的に採用されている「食用家畜を子どもたちで飼育し、それを最後には処理して食べたり出荷することで命の大切さを・・・」という教育、傑作書籍「世界屠畜紀行」の評、「暗転−闇社会の守護神と呼ばれて」の印象的なエピソード、映画「いのちのたべかた」、「よつばと!」で釣った魚をさばける子ども、さばけない子どもの対比シーン(左コマ参照)・・・など、その他もろもろの話をあらためてひとつのテーマで論じたいと思っている。うまくこのへんを構成できればそれなりにきちんとしたものになるんですけどね。



ただ、いつになるか分からないその部分を放っておいて、今回の話で議論を進めると、UFCファイトを今回の記事が意識的に「looking more like an abattoir」と表現したとしても、元来「abattoir」という言葉自体に食肉処理場と闘技・体技場の2つの意味があるとしても、要は・・・・言葉を選ばざるを得ないところがあるが、つまり「食肉を処理する」というのと「選手たちが闘う」というのに、何かしらのイメージをダブらせるという思考過程は、食肉が文化の中に根付いている英語圏であっても存在するのではないか? そしてそれは、各国文化の中で、それへの当否は置くとして、それなりにほっておくと、自然な流れとして生まれてしまうものではないか?という話、仮説であるのです。


断っておく、というか念押ししておくところですが、「ほっておくとそういう連想、イメージがはたらくのは自然」というのと「その比喩を、公に流通させることの是非」というのは実は一致しない。
ことに、日本および朝鮮半島の一部の中では、ケガレ信仰や仏教その他によって・・・というべきでしょうか、上のような意識がかりに自然に出てくるものであっても、さらに極端な形になっていると聞くからそれに応じた対策も必要だろう。


ただ、今現在(※たとえば梶原一騎の活躍した時代、その作品を含めるかはまた別の問題)、日本の用語使用、表現の中で、食べるために生き物の命をいただく(この用語も書いていて、いちるの不自然さや偽善性を感じなくもない)という行為や存在を、たとえば格闘技や事件事故、恐怖や戦慄の比喩表現には使わないように注意しましょうね・・・というのがコンセンサスであるべきだとしても


「そう感じる、連想するのはある意味自然かもしれない。だけど注意して、意識的に避けましょうね」


そういうスタンスに立ったほうが実際を反映したものになるのではないか?という話。

ちょっと例に挙げるとしたら「原爆固め」であります。
これは日本人記者の強引な翻訳(?)だったのだが、アメリカでだってディック・ザ・ブルーザーってレスラーが、トップロープから人を踏んづける技を「アトミック・ボムズ・アウェー」と呼んだ。余談だが本当に何のひねりもない技で、ぼくはプロレスごっこのときに時々使ってましたが、威力自体はシュートでいろいろと問題が発生した(笑)。

ただ、ブルーザーの技はそもそも日本ではあまり見られなかったからいいとして、原爆固めおよび飛龍原爆固め、猛虎原爆固めもろもろの比喩表現は、週刊プロレスが80年代、意識的に「もうこの用語は使いません」と終了を宣言した。


すごい威力、衝撃的だから「原爆」や「水爆」を比喩に使う・・・これは野球にだって「水爆打線」なんてのがあり、水着の「ビキニ」は定着しちゃって今さらアレなのは http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20080821#p6 に記したとおり。ホントのこというと、戦争用語を敷衍していくと昔中日にいた押さえの切り札ソンドンヨルを「爆撃機」と称したりなんなりもあるけどね。

そういうわけで、かりに規制するにしても、「・・・を比喩的に連想するのはある程度自然。だけど、無理してでも使わないようにしましょう」というものがある、ということを共通認識にすれば、いろんな部分でそれがバッファーになるというか、ひいてはその矛盾を突いてコラムを書く呉智英のメシの種がひとつ消える(笑)んじゃないかと思ったのでした。

なんでUFCの秋山vsシウバからこんな話になるんでしょうかね(笑)。