仏教というのは原理的、自らの理論の中にそれを許容しうる余地があるから簡単に比較できないんだが、「他宗への寛容」を山登りにたとえる概念があるということは聞いていた。まあむしろ日本教っぽくもあるんだが。
元歌を知らなかったのだがこの前の「編集手帳」で判明。
古い道歌にある。<分け登るふもとの道は多けれど同じ高嶺(たかね)の月を見るかな>。宗派(道)は違っても、仏教のめざす真理(月)は一つであると。その記事を読みつつ、一首を口ずさむ
◆天台宗総本山・比叡山延暦寺(滋賀県大津市)の座主がきのう、高野山真言宗総本山・金剛峯寺(和歌山県高野町)を公式に参拝した。両宗の約1200年におよぶ歴史で初めてという
(略)
◆顧みれば国内といわず、東アジアといわず、中東といわず、世の安寧という〈同じ高嶺の月〉がいまほど切実に恋しい時もない。
(2009年6月16日01時37分 読売新聞)