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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「木村政彦を投げた男」「最後の武徳会」阿部謙四郎伝(ゴング格闘技より)

Dreamの試合から離れているうちに、あまり一般的でないものを書いておこうと思う。
ゴン格連載中のノンフィクション「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(増田俊也)第18回は、武徳会が戦後に消滅するまでと、逆に戦前、いかに講道館に比すほどの勢力と独自の思想を持っていたかを記している。
村上もとかは「龍」でいいところに目をつけたなあ…あそこでの武専柔道部門は、剣道と対比させての悪役扱いではあったが)

その中に、阿部謙四郎という強豪がいた。
私のこの人に関する知識は、上の連載だけを読んでのものだが、これをネット上に記録化したいと考え、まずはてなキーワード、それを基盤にウィキペディアに項目を作りたいと思っている。

まずはてな

阿部謙四郎 あべけんしろう
昭和初期の柔道家。 徳島県出身。昭和61年、71歳で没。

明治時代に設立された財団法人「大日本武徳会」という半公的武道組織の下で運営された京都の「武道専門学校」、通称「武専」にて学ぶ。
当時の武徳会は、講道館とは別に柔道の段を与える資格もあった。


昭和11年、武専時代に宮内省が主催する柔道の「五段選抜試合」で、”柔道の鬼”として知られる木村政彦に払い釣り込み足から大外刈りで勝利(木村にとっては、柔道公式試合の最後の負けとなった)。
寝技の強さでも知られた。
また、植芝盛平から合気道も学ぶ。
昭和12年、武専を卒業した阿部は陸軍(徳島四十三連隊)に入営。
昭和16年3月に除隊するもすぐに呼び戻され、中尉となって再入隊し終戦に至った。


戦後は京都市警の柔道師範。
昭和21年、武徳会(戦時中武徳会は再編成され、政府の統制が強化された武道管理団体に性質を変えている)総裁を務めた梨本宮が戦犯として逮捕されたことに対し、釈放嘆願の署名活動を開始。
また講道館が段位発行などを独占し始めたことに反発、武徳会の再建を主張したため、戦後柔道界では次第に異端扱いされた。
反発を強めた阿部は講道館に対して自身の「七段」を返上(書留小包による)。
昭和30年3月に渡英。講道館とは一線を画しつつ、イギリス人の弟子たちを指導した。

講道館に関しては旧武徳会系柔道家の立場から「柔道衣を着たこともない講道館の館長が、ただ世襲で段を出して多額の免許料をとっていることをなぜ許すのか。(他の柔道家は)反対するどころか彼らのお使いのようなことをして恥ずかしくないのか」と批判した言葉が残っている。



昭和43年12月、京都に戻り「求心道道場」を旗揚げ。この際、既に市の所有物となっていた旧武徳殿の建物に、勝手に看板を掲げ、入会者を募集したという。


晩年は秩父市の老人ホームで生涯を過ごした。

昭和60年、死の前年に白崎秀雄が阿部に話を聞き、その生涯を「当世奇人伝(正確な書名は奇人の奇が「田」に「奇」)」という本にあらわしている。
同書によると木村政彦からの勝利にも「あのとき私はチャンスにめぐまれたんです」「宙に舞わせたの、あつかった(木村の師牛島辰熊がこう表現)というのは大げさです」と謙虚に語り、
「私の生涯は昭和12年6月に、現役で入隊したあのときまでで実は終わっていた」
と語ったという。


戒名は聖徳院四海求心貫通大居士。
墓所は故郷徳島県にある。

参考文献:ゴング格闘技205号・増田俊也木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」第18回


事実関係は全面的に参考文献に依存した。
ウィキペディアにするには独自の形式に変化させたり、西暦と元号を換算したり、中項目に段分けしたりの必要があるので、少し準備が必要。
あと、この連載では選抜試合で負けた回も既に書かれていて、そっちも見ればもっと充実するはずなのだが、さてその該当号を見つけることができるか。




少し感想を述べると、・・・この前、原田久仁信この人のウィキペ項目もごく少ない。だれか増補希望)が「列伝」のスタイルで現在のトピックを再び描き好評を博した。
それと同様に、阿部謙四郎を「栄光無き天才たち」の作画家が、増田俊也原作で阿部謙四郎氏の生涯を書いてもらえないだろうか、などと妄想しました。


市有施設となって閉鎖された武徳殿の建物下に「入門生募集」の看板を立てて柔道着でデンと居座る阿部。
街ゆく人がヒソヒソと話したり、市職員が「先生、こちらとしては困るんですよ・・・」と泣きを入れたり、講道館にいち早く尻尾を振った旧武徳会の柔道家が思わず目をそらしたり。


そんな光景が目に浮かぶ。
戦争によって一番いい時代を棒に振ったスポーツマン。死んだり飢えたりした戦争被害者から見れば、もっと悲劇はあるというかもしれないが、それでもなお印象に残る。世界ではどこかで、今もなお、それは続いているのだろう。



GONG(ゴング)格闘技2009年7月号

GONG(ゴング)格闘技2009年7月号

当世畸人伝 (中公文庫)

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