「捨身成仁日記」が過去のGoogleストリートビュー問題をひとつのカテゴリーにして、まとめて読めるようになった。
http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/searchdiary?word=%2a%5b%a5%b9%a5%c8%a5%d3%a5%e5%a1%bc%5d
それで昔のやつから読んでみて思ったのだが、問題の根本、もしくは根本に近いところにあるのは「見る・撮影する」とはそも何ぞや?という部分だと思う。
一昔前の通販CMの「みーてるだけー」とか、ショーウインドーごしのトランペットにべったりの少年CM(あれ、なんのCMだっけ?)のように、基本的に見るって行為は、うざくても他者危害の原則から外れていて、問題にしようがなかった。「何ガンつけてんじゃ、われは」というのは正当な抗議ではなく、理不尽な”因縁”と呼ばれてるし(笑)。
撮影も・・・・今はどーなのかな。最近は新体操とかビーチバレーの大会なんかは撮影禁止が敷かれ、トラブルも発生しているが、あれは主催者権限というまた別の話か。街路で撮る、街中を撮る。デモ行進を撮る、靖国神社の参拝客を撮る、警察官の公務を撮る。これはいくつも判例があって、調べたり判例を分類するのをちょっとスルーするが「撮るのは自由だろ!何をもって禁止するんだ?」てな部分も、ある程度はあることも確実。
しかし、撮影されるとやだなあ、とういうのも今回の話のように確実にあって、「撮影」が可能になって以降、まだここですとんと腑に落ちる体系はないんと違うかな。
で、応用編を思いついた
これはフィクションなんだけど、「ナニワ金融道」の中盤ごろに、地上げ後の土地に風俗店が集まる「ピンクビル」が設立されそうになるとわかった近隣住民が、反対運動の会を立ち上げるが、あちらにも営業の自由があり阻止に妙案が無く四苦八苦する話がある。そのビルを二束三文で取得することをねらった主人公側の帝国金融は、とある奇手でこのビルがピンクビルになるのを阻止する。
ただ、それとは別に、とっぴな話だが、反対団体が監視小屋を設立し、あからさまにカメラを設置し「みなさま、そちらのビルにで出入りする方は『撮影』させていただきますので、その旨ご承知ください。」とやれば、ビルがビルだけに(笑)かなりそういう建設阻止の”パワー”になるんじゃないかな?
ああ、同様のパターンが新興宗教施設の進出地区なんかでは結構あるか。
暴力団の事務所でもあったかな。
軍事基地、自衛隊施設などにも同様のことはあったような気がする。
では逆に、反戦団体をあからさまにカメラで監視するのは?
あるいはストリートビューのように建前は「これはビジネスです。街の映像で道案内を簡単にしたり、街の風景を楽しんでもらったりするだけですよ」というのは?
団体の性質によって「カメラで出入りを撮影し、記録しますよ」というのは平和的な抵抗手段になったり、けしからん威圧、暴力になるのか?それとも撮影という行為の暴力性、あるいは非暴力性はもっときちんと、何かに位置づけられるのか?また「報道」や「芸術」との兼ね合いは?
などなどについて結論が出ないまま、投げっぱなす。