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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

王あれば、叛徒あり。タイ王国に挑んだ”角栄型革命家”は

わたしはタイ料理(タイラーメン)が結構すきで、食べに行くのだが、お店に国王夫妻の写真が飾られているところは珍しくない。
現在のプミポン国王への国民の敬愛ぶりはいろんなところで報道され、政治的騒乱を国王の個人的権威で収めたことも一度や二度ではない。だが、それは王家へのスタンダードなのか、個人的力量なのか?

http://d.hatena.ne.jp/takase22/20090415
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20090416

かつて、タイには強力な共産党があり、武装闘争を行なっていた。

1980年代前半、私はタイ南部で共産ゲリラの根拠地に入ったが、映画館もある大きな町まで勢力下においていた。国軍の掃討作戦も進み、軍事的には押されていたはずの共産党がずいぶん勢力を保っているのだなと驚いたものだ。

それが80年代後半になって一気に投降の動きが加速した。これは軍事作戦よりも経済・社会対策によるもので、農村開発が農民層を共産党かた引き離したことが功を奏したのだった。

東北地方の「共産党投降式」を取材したことがある。数千人の農民の元シンパが集り、銃を差し出し、代わりに国王からの贈り物と国旗を受け取り国歌を歌った。国王と王妃の大きな写真がその式典を見下ろすように飾ってあった。

そうか、タイ共産党は80年代に衰退したのか。農村開発によって。ペルーでのセンデロ・ルミノソの、フジモリ政権による弱体化に似ているのかもしれない。共産党が壊滅すれば、王に対決するものはいなくなるだろう

…と思いきや。
私、この人が表舞台に出てきたときからそういう面で注目していたのだが、亡命中のタクシン元首相は一代で天下を取った成り上がりものでありつつ、その地方重視の勢力獲得のあり方が、必然的に王への挑戦になっていたのだ。

…タイでは、共産党の消滅以来、王室に刃向かう勢力はどこにもなかった。

ところが、タクシンがこのタブーに挑んだのである。

「タイのタクシン元首相は27日夜、バンコクで開かれた反政府集会で国外からビデオ演説し、06年9月のクーデターの黒幕はプレム枢密院議長(88)だと初めて名指しして非難した。議長はプミポン国王の側近中の側近で元陸軍司令官。王室と軍の権威を代表するとみられる議長を批判の俎上(そじょう)に載せたことで、元首相は退路を断って支配層と戦う意思を示したことになり、社会の分断が一層深まりそうだ。」(朝日新聞3月28日)

民衆がここまで二派に分かれて争い、しかも国王の権威に挑戦する勢力が出てきたとすれば、今回の事態はいつもの民衆運動では済まされなくなる。さらに心配なのは、国王が高齢で健康に不安をかかえていることだ。


この話を聞いて、うそかまことか分からないがどこかで確実に流布されていた噂を思い出す。
それは「昭和天皇は、田中角栄のことが大嫌いだった。公平な方でいらっしゃるから、公務の中でそういうそぶりは一切見せないが、日常の中で、例えばテレビに田中角栄が映ると無言で番組を消したり、チャンネルを替えたりした」というものだ。

デマかもしれない。
ロッキードで刑事被告人になった人だから、皇室イメージを守るためには「お嫌いである」という噂が必要だったのかもしれないし、議会・選挙の中では猛威を振るい続けた田中派の牽制のために、そういう話がてこになったのかもしれない。あるいは田中義一田中角栄の混同かもしれない。

しかし、事実かもしれない。
最近、魚住昭とかが、「田中角栄の系譜は、日本的な平等・社民主義といえる」と、主に小泉純一郎新自由主義批判から一回転しての再評価を行っている。
農村・低所得地域に”ばらまき”を行い、その支持を基に既成勢力に挑む。だが勝ち進み、頂点に手が届く際に、その向こう側に”王家”が立ちふさがる・・・


日本でも、あるいはあり得たかもしれん。
ひとつのシミュレーション小説だが、
70年代末期、ロッキード疑惑を引きずりながら、政治的混乱に乗じて総理大臣再任の目が出てきた角栄だったが、栗栖統合幕僚長率いる自衛隊がクーデタを発動し(ここにリアリティが無いなら、検察が徹底的な”国策捜査”を行う…でもいい)、田中角栄は中国に亡命する。
だが、農村を中心に爆発的な「角栄支持デモ」が発生、徐々に暴徒化し、赤軍全共闘の残党とも共闘し国内は混乱の一途。

そして197X年4月29日。
田中角栄は北京からテレビ演説を行い、「自衛隊クーデターの背後には、恐れ多いことながらお上がいる!」と名指しで皇室批判に踏み込み、日本の角栄支持デモは「反皇室運動」にその性質を変えていく・・・・

なんてのはへたな架空歴史、思考実験だが、今度のタイの事態を肌で感じるにはお役に立つかも。


ところで、現在81歳のプミポン国王だが、本当に類まれなる「出来星」で、抜群の調整力とバランス感覚を持つ政治的天才と言われる。
だが、それは受け継がれるのか。

「タイのプミポン国王の81歳の誕生日を祝う仏教儀式が4日、バンコクの王宮で行われた。国王は毎年、誕生日前夜のこの儀式で国民向けに訓話を行うのを恒例としているが、姿を見せずシリントン王女が代理出席した。」(毎日新聞、去年12月4日)
(略)
プミポン国王の子どもたち(一男三女)にスキャンダルがつきまとうことだ。例えば、以下の婚姻歴を見るだけで異性関係についても察することができよう。http://www.geocities.jp/operaseria_020318/kikyo/contents/royalfamily/Thai.html

さらにどす黒い噂話もあるのだが、ここには書かない。(タイには不敬罪があって、王室を侮辱した記事や本を出した外国人も逮捕されている)

王子が跡を継ぐことへの危惧は国民各層に強く、そのせいか、先の記事で国王の代理をつとめたシリントーン王女にも75年に王位継承権が与えられた。つまり、この二人のどちらかが次期の国王になる。

国民の間でのシリントーン王女の人気は圧倒的で、どんなに山奥の村のあばら家でも王女が微笑むカレンダーが飾ってある……

タイ王家が、逆にプミポンの個人的資質によって今の権威を得て、それがあまりの彼の英雄ぶりに後を継ぐことが難しく、後継者争いが起こるのであれば、むしろボナパルト体制に何かが近いのかもしれない。