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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

事実認定の難しさについて

痴漢容疑が、最高裁で無罪、それも三対二と分かれた。
その判決文。
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20090414170745.pdf

いや、しみじみと分かるのはこの事件自体のデティールとか以上に、そもそも裁判では「これが動かぬ証拠です!どーん」とか「おうおうおう、おまいらの悪事はこの背中の桜吹雪がお見通しでい!」で決まることはすくなく、「Aです」「いやBです」という主張が対立するとき、「なんか総合的にAのほうがほんとっぽいから」で決着をとりあえずつけるということですね。
そりゃ、無理だよな そもそも構造的に。疑わしきは罰っせずを発動すればいいだけではあるが。


映画「それでもボクはやってない」を見ると、われわれは神の視点から、彼はやっていないことを分かった上で刑事や検察、裁判官の態度に怒りを燃やすことができるが、あれ神の視点ではなく、やったかやってないか外からの態度、公判部分だけを見せてさぁ判断せよ、という場合はどうなるだろう?
そういう形式で作った痴漢裁判の映画やドラマを見てみたい気もする。

それでもボクはやってない―日本の刑事裁判、まだまだ疑問あり!

それでもボクはやってない―日本の刑事裁判、まだまだ疑問あり!