INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「はじめに言葉があったんし。その言葉が神さまだんし」

http://d.hatena.ne.jp/washburn1975/20090326
で、青森県警が容疑者の調書を津軽弁で取るようになった、という話から、同地の有名な偽史である「キリストの墓」での盆踊り、の話に軽妙につなげています。
ちょっとこの話に乗っかって、思い出したことを紹介させていただきますが、かつて「共産主義的人間」「思想のドラマトゥルギー」などで知られる林達夫氏が「聖書というのは実際のところ、当時のローマのインテリたちにはこういう感じで受け取られただろう」ということで、何弁だろうか、用はイタコとか巫女さんのお筆先のような口調に訳しなおしたことがありました。
http://d.hatena.ne.jp/jmiyaza/20070513/1179034804
から孫引きをかねて引用すると

・・・スピリチュアルがいかがわしいのならば、キリスト教もまたいかわがしいのであって、キリスト教が洗練されているのであれば、それは二千年の歴史がそうさせているだけなのだと思う。林達夫氏が「邪教問答」(「共産主義的人間」中公文庫 1973年)で、「かつて知名のある学者が冗談半分に(中略)、ギリシャ・ローマの教養ある人士の文章感覚が『新約聖書』の文体から感じたところは、例えば『ヨハネ福音書』の冒頭の句は「大初に言あり・・・言は神なりき」を「はじめに言葉があったんし・・・その言葉が神さまだんし」と訳し直してみるとよくわかるといったことがありました。お筆先のスタイルに甚だ似てくるというものです」といっている。

歴史の暮方 共産主義的人間 (中公クラシックス)

歴史の暮方 共産主義的人間 (中公クラシックス)

聖書の創造神話は、戦国・江戸時代の日本の反キリシタン論の時点で相当に厳しいツッコミが入り、守るキリスト教側でも知恵を絞ってこのへんは飾り立てているが、なに昔からいえばこういう土俗的でわけわかんなくて、それゆえに否応無くインテリのか細い疑念をねじ伏せるような、そういうパワーがあったんだなあというのが、このお筆先風・聖書だとわかります。


ところでこのあと余談がありまして、林氏が「ある学者が冗談半分に」とだけ書いている、その人はだれかを、書評家の向井敏氏が突き止めたことがありました(突き止めた人の本を紹介したのかな?ちょっと忘れた)
実はその「ある学者」氏はキリスト教の土俗性ではなく、「文語は格調高く、一種の普遍性があるが、そのまま日常的に使われている言葉を表記すると普遍性が失われる」という言葉の話、その主張としてこのことを書いていたんです。
向井氏は逆に「言葉の問題として出てきただけの『はじめに言葉があったんし・・・』を、原始キリスト教の本質にメスを入れる道具として使いこなした林はすごい」と評価しています。

向井氏の著作を、ぜんぶ入手したいものだ。ほとんどが絶版になっている。

文章読本 (文春文庫)

文章読本 (文春文庫)



ちなみに最近、キリスト教関係の単語で検索して来訪する方が多いのだが、なぜかと首を捻っていたら「聖☆おにいさん」の三巻が発売されていたからだった(爆笑)

聖☆おにいさん(3) (モーニング KC)

聖☆おにいさん(3) (モーニング KC)