INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

実録!佐伯繁という”漢”は、実はこんなに凄いヤツだったという話

なんでUFC修斗も「戦極の乱」地上波放送もあった(気付かず告知なしすまん)この日に、こんなことを書くのか、われながら。

22日にkamiproが発売されるわけだが、前回スペシャル版での告知によると次号のテーマは”男の中の男”。
そして、なぜか佐伯繁氏の写真が一枚あり、「佐伯さんの”男”伝説も満載?」となっている。
ほんとうか冗談かもわからん。


”豚勝将軍”という異名がこのブログだけで流行っている(笑)佐伯さんだが、たしかに漢、凄い人なのである。伝説がある。
その”男”伝説をもし聞いてインタビューにしたなら、さぞかし面白かろうが、実は先行記事がある。それを紹介しようと思ったのだ。

格闘技 最強リングの裏事情 (宝島社文庫)

格闘技 最強リングの裏事情 (宝島社文庫)

ここで佐伯vs笹原圭一対談というなかなか興味深いコンテンツがございます。
驚くべきかどうか、ササヤンのほうが佐伯将軍より年上なんだって(笑)。佐伯氏S44年、ササヤンS42年生まれ。どっちにしても世間に名前を響かせている割には極めて若い方だ。

で、二人の格闘技に行くまでの経歴が赤裸々にこの対談では話されており、あとでこの記述を元にウィキペやはてなキーワードを充実させてもいいんだが、佐伯氏の「格闘技に関わるまで」は、あまりに話が長すぎて構成者がダイジェストにしている(笑)。
しかし、いくら本人申告の話とはいえすごいんだよ。

それでは「男! 佐伯繁伝説」スタート

==佐伯繁伝説(基本、20代のお話)==


・中学1,2年の通信簿は9科目トータルで11か13.要はほとんど1か2。
・進学する気は全く無かったが、「ふぞろいの林檎たち」をみてキャンパスライフに憧れ、中学3年の通信簿は合計21にUP。高校進学成功
・だけど大学受験はすべて失敗、配管工事をやっていた父親の会社に就職
・だけど「土日が仕事でナンパできない」と退職、パチスロのプロになる
・だけどおいしいパチスロ台が消滅し、テレビ局でカメラアシスタントを体験。
・その経験をもとに「有名になろう」とカメラマンスタジオに入る(前田夫人と似てますな)
・陶器撮影専門のスタジオに所属の傍ら、当時の彼女だった雑誌編集者をつうじ業界とコネをつくる。このころは体を壊すほど貧乏
・22歳(※生年から計算すると平成3年?)で独立。秘密兵器は、いち早く購入した携帯電話。「ケータイでいつでも連絡が取れるカメラマン」は当時きわめて貴重な存在で、仕事が殺到した
・「カメラは地味」と映像に入り、AV女優の撮影から、風俗誌創刊にかかわる
・編集者、デザイナーと組んで、ページ全体をひきうけて作る仕事を始めた。たちまち130人の部下を持ち、全国繁華街にスタッフを抱える社長に
・飲食店やファミコンショップ経営に乗り出し、納税額で一億円を突破した


なんという立身出世物語!!神聖サエキ王国を建国してたのじゃよーー。


だが、
ああ、
それ
なのに。


何を血迷ったのだろう、彼は2001年、格闘技の興行を や っ て し ま っ た 。
まさに「やっちゃった」。

なぜだ?
この時、すべての資産を抱えたまま引退するだけだって、一生食うにこまらなかったはずなのに。
その後の対談後半は、佐伯氏が自称するところの「転落人生」なのだが、涙でくもって読めません。特に自分が実際に行っていた、DEEPのヒトケタ台の大会は、赤裸々に費用の数字や、誰にそそのかされたかなんかも出ていて、「なんてことを」と何度もつぶやいてしまう。

そして…今に至る。
20代で巨万の富を築き、30代で”興行”のためにそれを費やし、財産はなくなったけど、太い人脈と名前が残った・・・
ある意味、大人の、理想のおとぎばなしであるかもしれない。
うらやましい人もいるだろう。
まあ、私だったら絶対に20代で引退して悠々自適だったけどね(笑)


今回、kamiproは「男・佐伯」インタビューを掲載してくれるのだろうか。
前述したように、神聖サエキ王国建国の由来はそもそも原文もダイジェスト要約にすぎん。
いつかもっと詳しく、記録に残されるべきだろう。