眠くて録画したものを朝に拝見。メモ。
たった26話だった。
へー、こども心には1年ぐらいかけた大長編に見えたけどな。
同じ頃にすでに「ガンダム」とかやってた。」
えっ?もっと古いと思ってました。再放送で子どもの頃見てたから。
歌っていたのは俳優「河原さぶ」(旧名・河原裕昌)だった。バイトで歌ってたらスカウトされた。
私は俳優にまったく疎いのだが大河ドラマにも出演、オダギリジョーとの共演もあるというからそこそこの俳優なのだろう。
「歌ったのは28歳の時で、来月で63になる。この歌を歌ったのはレコーディングのとき以来だ」
という。
なんだ、こんな名曲なのにいろんな番組でもライブ披露されなかったのか。そういう点では貴重な映像になったんだな。
歌をうたったきっかけは
「食えないのでギターの弾き語りをやってたら、客席に呼ばれて作曲家を紹介された。『きみ、レコード出さない?』『出しマス出します』で決まった」
たぶん、毎年一杯のめるぐらいの印税がはいってくるのでは。買取りかな?
うーん、こういうことはホントにあるんですよ。
サギとは限らないのですよ。夢を捨てるなストリートミュージシャンの皆さん。
「自分のこどもに見せたかった」と出演した製作者は回想してたが
娘さんは、ノロイがこわくて見てくれなかったそうだ(笑)。でもその怖さを主導したのはこの人だったそうだから仕方ない(笑)
主観視点(主観映像)と客観視点(客観映像)
「ガンバが初めて海を見る」とか「イタチがガンバに追われて逃げていると思ったら、いつのまにか後ろに回って襲ってくる」
こういう構図や視点の変換は、手塚治虫が定着させたといわれる(異論も有る)重要な部分だが、アニメとかドラマのように流れていくものだと気づかないなあ。
というか、イズリングと同じで「主観映像」「客観映像」という定義を知ることで、逆に今後は何かを見ても分かるようになると思う。自分はいい武器をそうちゃくした。
ここはいい芸談なので紹介します。。
出演のアニメーター談。
その1
回想者「ガンバが初めて海を見るシーン、僕が言ってひとつシーンを付け加えた。いきなり見るんじゃなくてリアクションをいれた。ガンバのアップで、瞳がだんだんと(海を反映して)蒼い色になっていくんです」。その2
回想者「この海のシーン、アニメーター(僕たち)が海をセルで書いたんです。、もうラッシュまで行ったんですよね。でも監督が『やっぱ違うわ。背景に頼もう』と背景に書き直したんですよ」
岡田「作画まで出来て仕上げまでやったものを『違う』って言って、アニメーターじゃなくて背景に任せるって・・・大英断です」
司会「ふつう、背景って止め絵ですよね?」
回想者「だから一枚一枚、ここに海の絵を描いてくれと」
(追記;椛島義夫という人)
司会「こういうことはあるんですか?」(と、もと背景とかをやる美術出身のゲストに振る)。
美術出身ゲスト「ふつう、そもそも発注しません。たぶん怒ります・・・でもほんとなら怒るだろうけど、たぶん自分たちの絵が動く側(セルのこと?)を食うかもしれない。そう説明されると・・・受ければ、背景冥利に尽きるというか。この作品の方向性が見えた瞬間でしょうね」
岡田「でもアニメーターとしてはアニメを描いて、そのセルが没にされて、背景に回されて、現場的にはギクシャクしなかったですか?」
回想者「もう全然なかったです。だって良くなったんだもん。うおー(拍手のしぐさ)ですよ」
※わたしはアニメの制作の知識とか無いので、なにか勘違いしてたらすまん。
ノロイがこわい。大衆もこわい
いま見てみると、ノロイって城攻めに関しては実に戦略に富んだ知将だな。城の内部から内応させてまず食料備蓄を絶ち、内部対立を誘発させる。城の中で食料がなくなると「あんたらリーダーだろ!なんとかしてくれ」と大衆が騒ぐとか、ちょと人間(ネズミだけど)の醜さも描いてあって、一種のトラウマアニメでもあったのだな。
あと、ノロイの声がなんかいいんだ。聴いたこと有る人だけど有名な人だろう多分。
一人、女性の出演者が「誰が好き?」という話題で僕はヨイショだ僕はシジンだとか盛り上がったところに「私はノロイですね」と言って、スタジオはドン引きもいいところでした(笑)。
キャラクターの魅力論、チーム論
「イカサマみたいなキャラクターは最近はいませんね」
「一匹狼はいるけど方向性が違う。今、「ニヒル」は無理。何ヤッてんのって突っ込まれる」(これは将来ここで予定する「銀魂」論でも重要になるかも)
「ガンバは単純だから理想論が言える。しかしその無知の理想論が、周りの内なる『ガンバ的勇気』に火をつけてくれる」
「自然な意味のリーダー。でも一人じゃ何もできない」
「ヨイショは父親というよりお母さんだ。あとリアクションがおもしろい」
「イカサマが裏切り者(上の、城の食料を全滅させたネズミ。弟を人質に取られていた)を殴る演出。最初は純粋に相手への怒り、それが自分では何も出来ない怒りに代わって殴る力がどんどん弱くなっていく。それを長回しで見せる」
もともとガンバは原作では15だか10のチームで、二人の性格や特技をあわせたりもしている。
「七人の侍」も当然意識している。
この、一連の「チーム造形」の歴史は、以前「漫棚通信」で語られている。
「ヒーロー・チームは何人?」
http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2004/11/post_3.html
http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2004/11/post_4.html
http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2004/11/post_5.html