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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

秋葉原通り魔殺人事件……事件が事件を呼び続く可能性は?

被害者の方々には、深くお悔やみとお見舞い申し上げる。
何しろ、2002年にはジョシュ・バーネットを案内した場所だし、その後は降りなくとも、後楽園ホールの水道橋までの乗り換え駅だし、この前聞いた話ではここに大きなブックオフができたそうで、そうすれば当方の守備範囲になるだろうからひとごとではない。


今回の事件は、まだ一報二報の段階だし、新聞休刊日の関係もありそう詳しい話を聞いたわけではないが、わざわざトラックをレンタカー屋から借り、静岡から東京まで行って犯行を起こしている。つまりはこれは無差別殺人なのだから、でかい、人がたくさんいるところを狙うのは犯人から見ればある意味では当然だ。それはイコール、「どこでも繁華街は潜在的に狙われる可能性がある」ということでもある。あとはやっぱり、「犯行を起こせばメディアで報じられそうな、マスコミを引き寄せる街」という部分でも対象になった可能性もある。

厭世者(自殺願望者)は、そのまま最大の権力者になる。

今回の容疑者の動機が、「世の中が厭になった」だとの報道がある。
こういう人が格差社会で増えている…などと書けば一丁上がりだが、果たしてそれが正しいのかは分からん。
逆に「いつの世の中でもこういう人は一定はいる」という議論は、仮に格差社会でそういう人が増えたとしても、それはそれで正しいだろう。

そしてイスラーム自爆テロだってなんだってそうだが、現世(世間)に執着が無く、それを厭い、死(死刑含む)を恐れないどころか願望を持つ人々は、ある意味で”最高・最大の権力者”なのだ。
総理大臣や大統領を殺す人を考えるとより分かるかもしれない。銃弾や刃物によってそういう人の命を奪うということは、カラらの上に立つことであるだろう。そこで自殺したり、護衛に打たれて死んだりすればそれ以上はさばけない。逮捕されても死刑になれば、それを(本音かは知らないが)受け入れているのなら、それ以上は何がどうでもない。
万能・全能の権力者なのだ。 


※「死を覚悟」とはちょっと違うが、この全能感は司馬遼太郎の伝奇小説「梟の城」のクライマックスで描写されている。

梟の城 (新潮文庫)

梟の城 (新潮文庫)


「だれに頼まれた」
「口を慎まぬか」
重蔵は、低声で叱った。
「おぬし(引用者註:豊臣秀吉)は、わしの囚われびとじゃ。手さえ伸ばせばおぬしの命は、たった今でも消えることを忘れてはならぬ」
「お、おのれは・・・」
と叫びかけた。しかしさすがに声を呑み、声を落として
「わ、わしは六十余州、日の照る下のあるじであるぞ」
「解っている。しかし、それは昼間のことではないか。家臣が居並んでいてこそおぬしの通力は利く。が、この夜ふけ、わしと差し向っているかぎりでは、わしの支配を受けねばなるまい」

この日、6月8日は7年前に大阪の池田小学校で大量殺傷事件があった日だそうだ。彼もまた「死刑にしてくれ」の人だった。

「大量殺人して死刑を待つ」が自殺の一形態なら…「連鎖」の危険は無いのか?

このカテゴリに「科学」を含めたのはその部分なのです。
ここからは全く分からない、専門的知識が必要になる。

このテーマに関しては何度か書きました。

■「医学的合理性」は正義不正義の上に立つのだ。自殺報道も含め
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20080429#p6

■[時事][犯罪][科学]自殺の連鎖について
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20061113#p2

朝まで生テレビより 子供の「自殺問題」と「いじめ問題」は別なりと。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20061125#p3


何故なのか分からないけど、「自殺があったよ」ということが報じられると「じゃあ俺も」と影響され、自殺に踏み切る層は確実に存在する(WTOがお墨付きを与えている)。硫化水素練炭の流れを見ると「手段」についてもそうであるようだ。


「犯罪」そのものについてもどうだろう。報道が同種の犯罪を誘発する可能性は…あるだろうけど、合理的な意味「あっ、この犯罪なら俺も(つかまらずに)成功しそうじゃん」という、変な意味での合理性に基づく模倣犯じゃなく、とにかく報道に接すること自体が犯罪の実行を呼ぶようなことはあるのかな?そういう資料の存在は、ちょっと私は分からない。


ただ、とにかく「世の中イヤになった。どうせ死ぬなら、何かでかい犯罪して死刑を待とう」というようなものが一種の自殺であるなら、非合理的な模倣者というのが今後出る可能性はないのか?
それも今回、これからあるであろう洪水のような大量報道を受けての。
というか今回の事件自体が、この前いくつか発生した通り魔事件に影響された可能性は無いのだろうか。

さらに自省するなら、こうやってあの事件に関する感想をブログに書いていること自身が、そういう影響を与えている可能性だって当然あるのだ。



まあ、WTOの報告というのは報道に自粛を求めつつも「社会的に大きな意味がある時は」例外と認めているし、今回の事件をまったく報じないマスコミ・メディア、さらにはブロガー集団なんて自由世界のどこにも無いだろう。
さっきの池田小事件も、あまり大きな模倣犯は無かったはずだ。

ただ、今回の事件は非合理的であればあるほど、情報の受け手に想像の余地を持たせ、それがへんに自分の心に響いてしまい「俺も・・・」という人がいる可能性、これも否定できないと思う。


そして、それはひとつの危険、リスクとして少しの期間、街を歩く人も心の隅にとどめておいてもいいんじゃないかと思う。

今(朝7時30分)、「携帯サイトに犯行予告の書き込みがあった」との報道がされた。

実際の犯行、時間と非常に整合性があるという。

追記

「自殺報道は連鎖を呼ぶ」として報道にも自粛を求めたWTO勧告って、この前探した時に原文(の日本語訳)が見つからなかったのだが、どこかで読めるのでしょうか?あったら教えてください