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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

権力は常に味方でない。だから「動かさない」のか「こう動け」というかだ

また、切り替え時に目に付いた「注目エントリ」を話題に。朝にかきたかったのだが、急な仕事が入った。今(夜10時)に見てみるとTBやブックマークも増えているようだ。


【A】マナーと迷惑と権力、または「あの人どうにかしてください」
http://d.hatena.ne.jp/good2nd/20080503/1209800023

【B】当事者に言わず管理者に言う理由
http://d.hatena.ne.jp/ululun/20080503/1209819069


便宜上、記号をつけさせてもらった。
さて、最初に結論のほうをいうと、私はBのほうの議論立てにより賛同する部分が多い。
といいますのは・・・いくつか順序だてていくか。
まず中島義道氏は・・・この本を通読したわけでないので、そこを留保した上でいうのだが、引用部分で氏が感じた不快さってのは、もともと静粛、静謐な環境を【無条件に】欲している中島氏が「「・・・を守れ」と呼びかけるアナウンスや標語、看板によって、結果的に【無条件な静粛・静謐】が得られていない」ことに憤っているという部分が本質なんじゃないか?・・・と読み取れたんだが。
仮定の話だが、例えばこに出てくる「池に飛び込ませないための権力」の発動の仕方が、・・・実際にはそうであった「結果的によりうるさい音声が出る」中島氏ご不満のやり方ではなく、例えばそれこぞ黒尽くめの特殊警備隊が、一切無言で飛び込んだやからを強制連行していくようなやり方だったら、中島氏は溜飲を下げていたのではないかと(笑)。
「静かにしろと言ってるお前が一番やかましわ!」的な、よくある話であるし。


それは余談として、もう少し気になる部分として。

何か不愉快なことがあると、直接その対象に向かって抗議したり批判したりするのではなくて、上位の権威に訴えて「あの人なんとかしてください」という・・・ (略)不快なものはとにかく排除したいのです。不公正を訴えるのとは全然違います。【A】


これが果たして”上・下”であるのか、です。

「良くないんじゃない?」という"意見"の中には「どうみてもゴネているだけです。本当に(ry」というものだってたくさんある事でしょう。管理者は利用者からの声の全てを反映させなければならない義務を負っているわけではなく、利用者もしくは管理者から見て適切ではないと思われる行為に対して注意を喚起したり禁止をしたりすれば良いのです。

逆に言えば私が「良くないんじゃない?」と思って管理者に言った事が「改善」されない事は管理者側から見れば注意を喚起する必要が無いファクタである、という解釈も成立しえます。【B】

【B】の議論を、少し自分流に表現し、補足したい。
例えば上にあるように池に飛び込むやら、ヘッドホンの音量やら、そういうことを当事者間での「注意」で解決する時、これは結果的にはこの2者間での権力・・・というとやや狭くずれるんだろうな、「パワー」によって解決される。
パワーは論理、説得力、年齢、暴力、などさまざまだ。その意見が常識的でしごくごもっとも、反論できずにすいません、てなこともあろうし、その注意した男が体長195センチ、体重135キロの大男ゆえに言われた人はおとなしく従うかもしれない。
受け止め方が人によって違う場合もある。本人だけが「いいこと言ったな、俺!あいつも納得して反省したようだ」言われた人は「なんかおっかない人が因縁つけてきたよ、とりあえずおとなしくしないと・・・」だったりする。


実際の話、クレームをつけた人のクレームがどれだけ正当なのか、常に正しいのか。
例えば【A】で例に挙がっている話、クレームをつけられた行為がすべて間違っており、クレームが全て正しいものであるとは書き手も思っていないだろう。

だが、さっきの話に戻るが、当事者間での利害対立が直接行われる場合、その場での二者のパワー(なんでもいいよ)が勝っているほうの主張が通ってしまう可能性が高い。そしてそれは、第三者から見た時の「正・非」と常に同じになるとは限らない。


【B】の「私が「良くないんじゃない?」と思って管理者に言った事が「改善」されない事は管理者側から見れば注意を喚起する必要が無いファクタである、という解釈も」

というのはその部分を押さえていると思う。
「当事者に直接ではなく、管理者に対し『あれを何とかしてくれ』という」というのは、結果的に?もしくは動機として?「事なかれ」「お上だより」になるとしても、同様に、結果的にせよ「私個人はこれについてNO!という意見ですが、それをいきなり彼にぶつけ、自分の意思を強制させはしません。この場で強制力・正統性を持つ管理者に意見を述べ、その判断が私と同じであることを期待します」という、ある意味抑制的なものになる。結果的にはね。

例えば、上の例から引けばだ。
「いやあ、申し訳ないがこの池に飛び込むってのは伝統行事みたいなもんでしてね・・・なかなか粋なもんじゃありませんか、目くじら立てなくても」と管理者=”お上”が言った時「そうですか、と納得する」のがよき市民か、「ふざけるな、俺はお前になんかたよらねえ。お上に従順なのは悪い癖だ、俺はあくまでも当事者間同士で話し合う、池に飛び込むやつと俺は直談判してやる」というのがよき市民か(笑)。

さらに典型が【A】にある

弁護士の発言が気にくわないと、懲戒請求を出して「世間の声」を届かせようとする

という話です。これが、つい最近あった、殺人事件の弁護士への大量懲戒請求の話だとしたら。まさに請求者は「私は彼らが懲戒(罰)されるべきだと思うが、だからといって自分で直接あの弁護士たちをを罰しようとは思いません。管理権のある組織の判断が我々と同じであることを期待します」と言い、【B】のいうところである「声の全てを反映させなければならない義務を負っているわけではない」管理者が却下して終わった。
「俺は『弁護士会』 なんつーお上なんかにたよらねよ、やつら弁護団一人一人に、直接面と向かって説教してやるんdな」という正義感あふれる?人が、自身の”正義”に沿って、彼らと正面向き合って説教し、バッジを外せとしつこく要求したら・・・「すいません、私を罰したいなら懲戒請求を出しといてくださいよ」と言いたくなるんではないか(笑)
管理者、上位者に求めるというのは、そういう面もあるのだ。


権力に命じる(もの申す)人は権力か

さらにもうひとつ。
「あの人なんとかして」というのは、逆に言うと「権力は、本来やるべきことをきちんとやっていない」「我々が指摘しないと、権力は怠惰にその場に留まり、動くことをしない」という権力観でもあるのではないか。
そういや「お上」というのも、筑紫哲也氏なんかが何も考えずに使っていたネガティブ・ワードでして。「我々が指導、指摘、監視して、やるべき義務をやらない役人どもをきりきり働かせているよ。まったく俺たちが目を離すと、なんでもあいつらはサボるからなあ」というと、あれあれ不思議、同じことでも民主主義っぽいじゃないですか。イゼルローン共和政府ぐらい民主主義のカタマリだ(笑)


本当に権力に頼りきるものは「お上のやることに間違いはございますまい。お上がお咎めなしなのですから、それが正しいのでしょう」てな、森鴎外の短編的なことになるのではないか、むしろ。
そういえば学校に「なんとかして」を連発するモンスター・ペアレントに、お上意識ってありやなしや。