文化庁の映画に対する助成金の妥当性をめぐって、議論になっていることから、後で書こうとしていた話を思い出した。
というのは最近、気に入っている作品の帯や広告、書評などに「この作品はXX年度文化庁メディア芸術祭でXX賞を受賞した」というコピーが入っていることが多く、それでおのずから、なんか侮れん感じだぞ、というのをうすうすと感じていたのですね。
2006年にここは一般投票も含めて「100選」を作成した。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20061008#p9
ここにも書いたように、この時は一般投票も含めているので、そのとき人気の作品に傾いているけれども、これとは別に、毎年選ばれている歴代の大賞作品を公式サイトから一覧にしてみた。(実は公式の、一覧が無いんです)
http://plaza.bunka.go.jp/festival/2007/
(ここから毎年の賞にリンクが飛んでいる)
2004 夕凪の街 桜の国 作者:こうの史代
2002 セクシーボイス アンド ロボ 作者:黒田硫黄
2001 F氏的日常 作者: 福山庸治
1999 アイ’ム ホーム 作者:石坂啓
1997 マンガ日本の古典(全32巻) 作者:22人のマンガ家
メジャー作品とマイナー作品を行ったりきたりしているところがあるし、また初期のころはやっぱり「え、これっすか?」という感じが個人的な評価としてはあるんだけれども、少なくともここ数年の作品選定は「優秀賞」も選考するようになってさらに日本の漫画の多様性に対応する「厚み」「ケレン」を持つようになった気がする。(初期のころも優秀賞を選定していたのかも知れんが、公式サイトには記述は無い)
【近年の優秀作品(で、俺も評価するもの)】
「鈴木先生」「毎日かあさんカニ母編」「大阪ハムレット」「PLUTO」「よつばと!」
まあ究極的には「初期は?だったが、最近は納得行く作品が多い」というのは、俺と評価が一致する部分が多い−−ってことで、正反対に「以前は妥当だったが、最近は選考基準がおかしくなった」という人だっているだろう。
ついでにいうならいくつかの漫画作品については「政治性」の議論をすることもできるし「そもそも税金を使ってこの作品がいいとか悪いとかお上が決めてどうする。どうせここに、官僚と関係者がぶらさがって食い扶持を得ているだけ。賞なんて民間でいくつもあるんだから任せるべきだ」という議論も十分なりたつ。
また、今回の「靖国」騒動にもつながるが、こういう賞を選ぶとか助成金をつけるとか言う時に、選定=権力を振るう時、「専門家」が登場する。この専門家は文化”行政”の専門家であることもあるし、またそれぞれの文化の分野で活躍した、そういう意味での専門家でもあり得る。
ただ、どっちにしてもそれらの権力は専門性を根拠にする限り「民主主義」からは、よくも悪くもほど遠くなる。原理的に。しかし税金を使う以上、民主主義的原理からの監視やコントロールもどこかで受けなければならないわけで、これのさじ加減をどうするか、というのは実はさらに大きな問題にも応用しなければならない話なのであります。
例えば小泉改革の際、道路公団の「民営化推会議」や財政の「経済再生諮問会議」…だったっけ?こういうところの案というのは大体、そこでの結論に沿って政府案、与党案になっていくのだが”抵抗勢力”からは「委員というのは民主的に選ばれたわけではない。選挙もやっていない。そいつらが政策を決めていくのは民主的ではない」という議論が出てきた。
実はこういう話に近い。
専門家が決めた、という話なら、国交省がカネを出したとかいう「みちぶしん」なるミュージカルや、東京都がカネを出して買ったという石原慎太郎の息子のゲージツもだ、形式的にはそれなりに専門家の手続きを踏んでいたはずだ。専門家と大衆=愚民=民主主義(イコールで結ぶのも変だが)→議員やジャーナリズムは、緊張関係を持ちつづ役割分担もしなければいけないのだ。
まあその一例が、この文化庁メディア芸術祭の賞の結果というわけだ。
ちなみにいま、この検索のついでにわかったが文化庁は毎年「アニメ部門」も選んでいる。ヒマだなお前ら(笑)。
この選定、いい感じか(?)かは私は分からないので、詳しい人はリンク先を辿って論評してみてください。
ちなみに「特撮部門」はない(笑)
おまけ
芸術祭のサイト、へんにオサレで検索性に欠けるのだが、うろうろしてたらこんなのがあった。
税金を使って荒木飛呂彦インタビューを載せているというのもつわものだ(笑)。もとはわしらの税金、せっかくだから読んでおけ。