INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

この主張は、「基本的には正しい」としか言い様がない。近代社会として。

上からの流れで「近代社会が間違っているとはいえない話」を続ける。
靖国」上映館が上映中止を決めた問題で4月前半のいつだったか?朝日新聞がその続報を2面の記事で書いていたな。

そのときに、上映中止を求める側はこう言っていた。

「抗議をする自由もあるし、抗議を受け付けない自由もある。言論の自由と思っています」

これはメモしたものなので、記事がネット上では今見つからないようだが、上のフレーズで検索すると引用・転載者が多いので記事は読めるだろう。


んで、一言で言うとこの主張、正しいか間違っているかといえば「正しい」。論理としては最強すぎるのだ。
だから私は、読売新聞が社説で、この問題と同じカテゴリーだとして紹介した「櫻井よしこ講演会中止問題」(これも(「抗議で中止」という部分では)同じ枠組みだという読売の主張は全く正しい)、またネットで話題になっている「『プライド 運命の瞬間』(東条英機の映画)が当時、上映反対の抗議運動を展開された」ことも、抗議運動自体はいくらでもやっていいと認める立場だ。


で、大騒音でいやがらせしたり、「殺すぞ」「家の火事に気をつけろな」「お母さんが石段から落っこちなきゃいいね」などの脅迫をしちゃいけない。

そのときは既に抗議でなく犯罪になる。
そんだけ。
シンプルですが、これに対して異論を唱え、上の言葉で言えば「抗議の自由の制限」を主張するとしたら、なかなか複雑な論理立てが必要です。上の一言を発した人のロジックは、あまりにも単純で、それだからこそあまりにも強固だ。
あたかもカラシニコフのように。

あ、そうそう稲田朋美。(お約束。分からない人は数日前のエントリをみよ)