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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

これをどう近代の法理論(他者危害原則)で裁けるのか

http://news.jams.tv/jlog/index/search-clear
こういう「オーストラリア情報専門・日本語ニュースサイト」なんてものが成立しているというのも驚きだが、こんな報道があった。

娘が実父の子供を出産

2008年04月06日 21時 02分 一般

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 【キャンベラ6日AAP】SA州在住のジェニー・デイビスさんは、30年間離れて暮らしていた父親と再会した後、父親と性的関係を持ち、妊娠。その後、女児を出産した。

ジェニーさんは「ジョン(父親)と私の関係は2人の同意のもとに成立している。私たちの関係を少しでも理解してもらいたい」とナイン・ネットワークに語った。

2人の間に生まれた娘のチェレステちゃんは現在生後9カ月。放送された番組で元気な姿をみせた。ジェニーさんは父親と再会した後すぐ、父親を一人の男性として見るようになったと語った。ジェニーさんは元夫との間にもうけた2人の子供も育てている。

ジョンさんは実娘と性的関係を持つことを最初は不適切な行為と認識していたと認めた。一方で、「次第に気持ちの方が強くなった。人生には感情に流され、 理性が負けることがある。私たちの関係が違法だということはわかっていた。だが、違法だからどうだというのだ」とジョンさん。

SA州警察のスポークスマンは6日夜、2人の関係は現在も監視されているとした


重い話ではあるが、あえて思想的課題の題材にさせてもらおう。
以前書いたと思ったのだが、検索すると出てこないので初出なのかな?


一応、今現在のリベラル・自由主義社会というのは、「他者危害の原則」に立っている。他の人権を侵さない限り、個人の行いを妨げるものはない、というタテマエだ。プリンセス・プリンセスの歌で言えば「好きな服を着てるだけ、悪いことしてないよ」というやつである。


だからこそ、基本的に近代自由主義社会のほとんどが同性愛を罪とはしない。
そんなところまでいちいち近代国家は、社会は干渉しないのが原則なのだ。


さて、基本的な考えの枠組みにおいて、上のオーストラリアの父娘の事例は、誰かに危害を及ぼしたりしているのだろうか。
一般的に近親の結婚(性的関係)というのは、片方が判断力を備える年齢でなく、また家庭の中での権力関係によって強要されることも多い。それは、そのまま犯罪とするのはたやすいのだが、上の事例はそうではない。


なぜ、これを近代社会は「違法」とするのか。


実は簡単である。
「伝統的にそうであったからだ。”人倫”に反するからだ。理屈ではない、とにかくおぞましいではないか」

うん、伝統や人倫を持ち出して説得するなら、それにまったく同意する、100点満点のお答えだ。圧倒的多数が、おそらく反対はするまい。


だがね、伝統と人倫に助けを求めた時、「近代社会」を支えてきたロジックはその時点で全面敗北してしまうのだ。


「すいません、社会秩序は伝統に(も)依拠していまして、それをはずして近代の原則だけで作ったら成り立ちません」
と近代よ、伝統の前に膝を屈するがいい。


それとも遺伝学を持ち出すかね?
なるほど近親結婚によって発現しやすい遺伝的障害、これは確かにある。

しかし、それは「結婚した男女は子供を生むべきで、それは健康な子供であるべきである。健康でない子供が生まれるリスクが高い場合は社会がその危険性を規制できる」ということになってしまう。
それでいいのかというとまずいんじゃないか、今のご時世。


いま一番、「敢えて社会が困難やリスクを負ってでも、自由主義に基づいた近代社会を選ぶ」という姿勢をとるラディカルな思想家は樋口陽一氏だと思う。

この人が「個人と国家」という新書ではちょっとだけこの問題に触れているのだが・・・ちょっと別の文脈の中での話で

「分かりやすい例でいえば近親相姦(インセスト)タブーでしょう。なぜいけないのかという説明抜きでとにかくそれはいけないとされ、だんだんいけない理由が「いけない」ということを言う方にも理解できるようになる。言われる側もその合理的な思考を受け入れることができるようになってくると、今までタブーとされていた規範はそれなりに重大な理由があったのだということがわかるでしょう」(223p)

たんにわき道の話なので、これだけですましている。少々残念だな。

個人と国家 ―今なぜ立憲主義か (集英社新書)

個人と国家 ―今なぜ立憲主義か (集英社新書)


かつては極端な形で、挑発的にこの「自由社会」原則を徹底させた社会について語っていたはずの宮台真司はたしか「宮台さんに100の質問をしよう!」みたいな本でちょっとこの問題に触れていたようだったが、詳細は忘れた。