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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

追悼・石井桃子氏101歳で逝く

 2日、101歳で亡くなった石井桃子さんは、生涯現役で、子どものための本について考え続けた児童文学者だった。葬儀は故人の遺志で行われず、後日、お別れの会が東京都中野区の東京子ども図書館で開かれる予定だ。
   ◇

 1月末の朝日賞の贈呈式には車いすで出席、「朝日賞をいただいた人間ですといってこの世を去るよりも、六つ七つの星に美しく頭の上を飾られて次の世の中に行きたいと思っています」と石井桃子さんらしいスピーチをして会場をわかせた。

 昨春、100歳になった石井さんにインタビューしたとき、脳の発達と子どもの本とのつながりについてさらに深めたいと話していたが、「あの続き、もう考えられなくなったの」。贈呈式の控えの間で休みながら、いかにも残念そうだった。最後の最後まで現役の児童文学者だった。

 クマのプーさんピーターラビットうさこちゃん……翻訳、執筆した主な作品だけで200を超える。この半世紀以上、日本の子どもたちは「石井桃子さん」が手がけた本を楽しんできた。海外のすぐれた物語や絵本を紹介することで、日本の児童文学は幅を広げ、豊かになった。

 石井さんの文章には、きれのいい響きと快いリズムがあった。わかりやすく美しく、いさぎよくユーモアが漂う。

 人柄も生き方も、まったく同じだった。26歳でA・A・ミルンの「クマのプーさん」に出合ったときから、子どもの本とは何か、ひたすら考え続けてきた。先輩作家の坪田譲治らとの論争も辞さず、50年前、自分の家を開放して「かつら文庫」を始めたように、実行力もあった。


私は「ノンちゃん」も「ピーターラビット」もしらんし、実はこうやって追悼の時を書くほどに影響を受けた「くまのプーさん」も「ドリトル先生」も、正式な訳は思春期のころに読んだ。うさこ=ミッフィーに至っては「この絵で●億円か」考えるような汚れた大人になってからだ(笑)
だがだからこそ、さまざまな面白みや工夫がダイレクトに分かったのかもしれない。


くまのプーさん」を自身で訳したことはいうまでもないが、「ドリトル先生」も原書を読んでああ訳すべきだと企画を親交、井伏鱒二を訳者として起用したが井伏は作家らしく仕事に手をつけない。そしたら石井は下訳をすっかり済ませ、それを井伏に突きつけて否応なく翻訳作業に取り掛からせた・・・・と聞いている。


http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0055.html

ところで、本書は井伏鱒二が訳している。
 それどころか、ドリトル・シリーズの大半が井伏鱒二訳になっている。なぜ、そうなったのか、その背景にすこしだけふれておく。
 そこには一人の女性の乾坤一擲があった。『ノンちゃん雲にのる』の石井桃子の乾坤一擲だ。
 昭和15年のこと、石井桃子文芸春秋社をやめた退職金で白林少年館をつくり、当時の暗い世相を打ち破る少年少女むきの出版に単身でのりだした。その第1弾が本書であった。石井は翻訳(下訳)を自分でやり、そのブラッシュアップを、当時、近所に住んでいる井伏鱒二に頼んだ。
 井伏のブラッシュアップはすばらしいものだった。翻訳というより、ほとんど日本語の文章をこしらえた。たとえば、ドリトルもふつうに訳せばドゥーリトゥルで、あえて訳せば「薮博士」というところだが、それを日本の子供の発音でも親しめるドリトル先生にした。そのほか「オシツオサレツ」「アベコベ」などの動物たちの名前や冒険先の国の名前にも工夫を凝らした。
 ところが出版されたのはこれ1冊きりで、時代はどんどん戦火のほうへ巻きこまれていった。
 戦後、石井はふたたび決断をして、岩波書店ドリトル先生シリーズを出させる約束をとりつける。井伏にも翻訳をひきうけさせた。岩波もこれに応えて全12巻の刊行をひきうけた。
 ちなみに石井は、さらに独力で「かつら文庫」という貸本型の児童図書館をつくっているが、そこで最も読まれたのはドリトル先生シリーズだっという。子供たちは一冊読んだらやめられなくて、途中で放棄する子供は一人もいなかったともいう。
 そんな背景があったのである。


プーさん、ドリトル先生を選ぶガンリキだけで、日本文化史に燦然と輝く不朽の功績が刻まれているはずだ。

そして職業女性(どころか企業経営女性)のはしりとしても活躍、101歳まで生涯現役なのだったら恐れ入るしかない。
かつら文庫には阿川弘之の二人の子供(阿川尚之阿川佐和子)も入りびたりとなって、いまのようなオトナに育った(笑)。阿川は日本人の訪米・アメリカ紀行や留学記録からアメリカ文化論を読み解く本「アメリカが見つかりましたか」の中でも、石井桃子の児童文学教育を学ぶ訪米の旅を取り上げている。


石井氏はそのかつら文庫に顔を出していたというから、いつかこの世紀の巨人の顔をおがんでやろう、という希望が当方にはあったが、これでその夢はかなわなくなったようだ。
しかし彼女が子どもたちに読ませたかった本には、いつでも会える。

むかしむかし,大むかし,まだまだむかし,この前の金曜日ごろなんだがね,くまのプーさんが、森のなかでただ一人,サンダースの名のもとに、住んでいました。

ところでプーの絵柄について

これ以前書いたっけ。

そんな石井訳の「くまのプーさん」を読んだわたしにとって、ディズニー版の「プーさん」…いやちがった「プーさんの名を僭称する賊徒」(自由惑星同盟の帝国側の呼び名じゃないって)は本当に敵以外の何者でもない。
平成の世に異端審問とかそういうのが無いのが残念だ。権力があったら事前検閲をしたかったところだ。
唯一正統はシェパード版のプーさんでしかない。


ところがあにはからんや、さすが著作権ビジネスの上昇腐敗、いや常勝不敗の帝国ディズニー。なんとこっちのシェパード氏の絵の権利も予防的にがっちり契約、保持しているんだってさ。
そこまでビジネスに徹するとあっぱれである。でもさ、それならピーター・ラビットだってそうできるんだから、あの絵柄のままそのまま動く作品をつくってよ。
そうすればディズニー社も、大悪人が地獄へ落ちても一回だけいいことをしたご褒美にくもの糸を垂らしてもらえたように、ちょっとだけいいことをしたとして後世評価される。

プーの落語的味わいについて

滑稽譚が落語に似てるなんて当たり前の話だが、それにしてもほんとにそのまま落語だ。
例えばあの「ゾゾ追跡」の回。落語的に翻案しよう。

プーとコブタだから、熊さんと豚公にしておくか。でっかい木のふもとで。
「おお熊の兄貴、何やってんだこんなところで」
「なんでえ豚公か、みてわかんねえか、この怪しい足跡を追ってるんだ。なんか化け物みてえなんだが、丁度いいやお前もつきあえ」
「おお、とっつかまえて見世物にしてやらあ」


・・・
「なんかこの化け物の足跡、二匹に増えてねえか?」
「あと一匹、別の獣も合流してるな」

・・・・
「また一匹増えたぞ。別のヤツも増えてる」
「…わりい兄貴、ちょ、ちょっと急用を思い出したんでこのへんで」
「おいこらどこに行くんだ」


そこで、大樹の上から声が。木に上って絶景を見ながら休んでいたご隠居さん(原作ではクリストファー・ロビン)。

「…おめえら、二人でこの木の周りを何回もぐるぐる回ってなにやってるんだ?」


ゾゾ追跡の一席でございました。



** クマのプーさん(winnie the pooh)の事**
クラシックプー(classic pooh)のこと

http://www001.upp.so-net.ne.jp/shino-3/pooh/classicpooh01.html