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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「反骨の実況王」若林健治復帰…そしてアナウンサーという商売

kamiproに、間違いなく90年代プロレスのレジェンドであった若林健治アナウンサーのインタビューが載っている。今回、プロレス界に復帰したのだ、彼は。最大級の栄誉礼で迎え入れねばならない。

私の思いとしては一冊ぐらい丸ごと自伝、裏話を書いてほしいぐらいなのだが、まあ実際上は難しいだろうし、いい聞き手(堀江ガンツ氏)を得たのも良かっただろう。
自身が仕事ではなく最初からの熱狂的プロレスファンで日本テレビに「プロレスやりたい」と入ったこと、さまざまな熱い実況で伝説を残したこと、ジャイアント馬場解説者との、息が合うとも合わぬともいいがたい絶妙コンビを組んだこと、全日中継の30分縮小を、なんと実況で批判するような喋りをして上層部の逆鱗に触れ、誰が見ても「ああ左遷だ…」と分かる形で異動したこと、しかしファンの声で復帰を果たしたこと・・・、

すべて断片的には話は聞いているが、今回のように本人の口から聞くとまた味わい深い。

kamipro No.121 (エンターブレインムック)

kamipro No.121 (エンターブレインムック)


いくらでも語れるから逆に困るんだけど、
例えば102Pの「一番思い入れがある試合」である三沢光晴が始めて鶴田をフォールした試合。
誌上にある「三沢が勝ったぁぁぁぁーーーーーーーーーー!」のあと「三沢が超えたぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーー!」とも絶叫。超世代軍という呼び名とどっちが前か後かわからんが、とにかくぴったりはまった一言だった。

ブルーザー・ブロディ追悼試合であるアブドーラ・ザ・ブッチャーvsスタン・ハンセンの「ハンセンよ、涙でブッチャーを撃て!」は解説の竹内宏介との共同作業だったそうだが、ブッチャーのほうの描写もすごくて「全日本15年の歴史を、血でプレイバックする男」(この試合は全日15周年記念も兼ねていた)「ハンセンを倒して、逆供養だあーーーーっ!」という名言を残した・・・。


…いやまあ、ほんとに一つ一つ俺が語りたいこと書いてったらマジ終わらんから。
とりあえず、一番重要なところだけ。

若林 川田・田上組の試合が僕にとって最後の実況だったんですね。その中で僕は「全日本よ、永遠なれ!」と言ったんです。これは試合前にプロデューサーから「おそらくこれが全日本最後の放送(略)」と伝えられていたので、ついにそこまできちゃったのかっていう思いがあったから、その一言を告げることで僕の中でピリオドを打ったわけです。
(略)
それを聞いたプロデューサーは「なんてことをしてくれた!」っていわれましたよ。要するに僕ってプロデューサーにとってみれば扱いづらい存在だったんでしょうね。だけど僕は、全日本はこれで放送が終わりなんだっていう気持ちを放送に乗せたかったんです。

さてここで、100以上のブックマークがつき話題を呼んだ、NHKのひとつの「事件」を紹介しよう。

NHKがどよめく「ちりとてちん」最終回を森本アナが宣伝!
http://d.hatena.ne.jp/otokinoki/20080328/1206668573


いよいよ明日最終回を迎えるNHK朝の連続テレビドラマ「ちりとてちん」だけれども、今日の最大の驚きは放映が終わった後のNEWS「もっさん」こと森本アナにあった。

アナウンスルーム NHKアナウンサー 森本健成

今まで基本的にはNHKの八時半のアナは、直前の朝の連続テレビドラマは見たことないというのが公式発表だったのだけれども、たまにアナが涙ぐんでいたり等して連ドラファンの間では話題になっていた。
(略)

そこで森本健成アナですよ。放映直後に

「明日の最終回もお楽しみに」
(オオォ ←スタジオのどよめき)

といきなりアドリブで「ちりとてちん」の番組宣伝を入れてきた・・・


リンク先にはその時の動画もあるので実際に見るといい。
ちりとてちん」は視聴率的には目立たないが、内容の評価は極めて高く、今後の再評価も必ずあるだろう。そしてその時、このエピソードは一緒に語り継がれるに違いない。
それほど、冷静沈着が服を着たNHKアナウンサーも感動させたと。


ベトナム戦争も「戦争を終わらせたクロンカイトの一言」というのがある。

http://homepage.mac.com/netslave/iblog/B136738049/C910810045/E232727791/index.html

最初は興味半分の戦争取材だったCBSウオルタークロンカイトは兵力増強を図るジョンソン政権に疑問を抱き、現地取材で特集レポートを放送した。
 彼は民族の尊厳をかけて戦っている相手と交渉すべきではないかと語って番組を締めくくった。ジョンソンの補佐官は大統領が番組を見終わった後、「クロンカイトを失ったことはベトナムを失ったことだ、とつぶやいた」と証言している。ジョンソンは次の大統領に出馬しないことを発表した。


◆クロンカイトの回想
「意見を述べたのは私のエゴだったかもしれません。しかしそうすることがあのときの私たちの判断だったのです。」


アナウンサーがそうそう個人的な思い入れを言うもんじゃない(クロンカイトはアンカーマンだが)ってのにはそれなりの合理性も正統性もあって、両者横紙破りであることも事実だ。
だが、それを彼らはちょっとだけ公私混同して、乗り越えたというわけだ。


僕は個人的にこういう、
「普段はルールに従い公平公正=四角四面で官僚的に振る舞う(べき)立場の人が、人情や『法を超えた心の内なる正義』に従い、ほんのちょっとだけルール破りをする」というのが好きなんですよね。
フィクションでも実話でもね。


えーと、ここでいくつか実例を挙げたりなんなりしたいし、また若林アナに関してはさらにラディカルなエピソードがあって「組織とプロフェッショナル」という大問題にまで話は発展していくわけだが、単純に時間無いので

ここまでで「前編」ということに。
続きは夜か明日にでも。


【この後が続きです】

−−若林さん、実況中に「30分になったのは悔しいんです!」って言われてましたよね。


若林 おまけに「漆戸編集局長、これが30分か!」って名指しで言ってましたから、ご本人はかなり怒っていました(笑)



−−ダハハハハハハハ!さすがに怒りますよ!!(笑)


若林 漆戸さんっていったら編成局長でのちの専務ですから、僕を飛ばすくらい簡単なわけですよ。それで飛ばされたとは思いませんが(笑)、ラジオ日本への出向はそれが全てではないと思うオンですけど、まったくそれが理由になってなかったとは言い切れない(笑)


とまあ。
ことここに至っては、シャレや「ちょっとあそこでやりましたね」といった人情話では済まない大問題、普遍的な「漢とは・プロフェッショナルとは・組織人とは・人間とは」という、大文字の問いが投げかけられる。
すなわち、大企業の一員が、自分の信念に沿わぬ仕事などを命じられた時、どこまで従うのか、どこまで自分の意思に忠実足り得るのか??という問題。
おそらく組織人として生きる人々のほとんど(ここのブログ読者も含めて)が、この問題に直面したことがあるだろうし、その時取った態度もさまざまだろう。


若林氏の行動の結果や経緯、また例えば編成局長も当然持っていただろう、彼なりの正義や信念のことを考えれば、若林氏のこの態度を軽々に「正しい」とも「間違っている」ともおそらく言えない。

ただし、1990年代の日本テレビにいた若林健治という男が、こういうふうに振る舞った…ということは、記録としてとどめておくべきだろう。
ここから学ぶもよし、反面教師とするもよし。


タイトルにて若林氏を「反骨の実況王」と称したのは、あながちただのパロディではないと理解してもらえたかな。

そして、この話には「続編」がある。

僕は00年に一度「全日本プロレス中継」に復帰しましたけど、ファンの声で復帰した日本で唯一のアナウンサーなんです。これはプロレスに限らず歴代の放送史を見てもありえません。これは嬉しいことですよ、メールやファクスや電話が日本テレビにガンガン来ましたから。
(略)
「三沢vs川田の東京ドーム、貴方以外に誰が実況するんですか」とか書いてあってね…あんなの読んだら泣いちゃいますよ!


34丁目の奇跡」みたいだね(どんなふうにつながるかはちょっとネタバレあり)

私は復帰が決まった時、たしか
王の帰還である、敬礼せよ」
と書いたっけ。アルスラーンのイメージでした(笑)


最後に今後の話。

そしてまた、若林氏はプロレスの仕事をするために天下の大企業日本テレビを捨ててフリーになった。佐藤某に続き(笑)、再び「あのバカは荒野を目指す」という男が出てきた、わけである。

その最初が、大仁田厚がらみというのは少々あれだが(笑)

彼は要約するとこう言うことを言っている。
「自分がやれるのは、まず一団体を担当して必死にそこで全力を尽くすこと。そして余力が出てきたら、もう一団体が限界。自分はひとつにカロリーを低めには抑えたくないから」


そこでひとつは全日かNOAHか、やっぱりそっちの系統を担当してもらいたいけど、あとひとつが格闘技団体になってくれれば幸せだなあと。



ところがだ、パンクラス戦極を担当する矢野武アナ、この人も信じられないぐらい、まるで宝物のような才能を持つアナウンサーだ。PRIDEを「フジテレビショック」が襲った時、佐藤大輔煽り映像は「ああ、あの映像が無い」と世のファンを大いに嘆かせたが、アナウンサーに関しては、フジテレビのあのアナも確かに一騎当千だったものの、ほとんど後任の矢野アナが力不足だという人間は出てこなかった。

矢野アナが俳優畑で、アナの訓練を受けてないなんて信じられない話だ。
まあ「若林アナの格闘技中継」なんてものは接点を考えていくとあまりありそうも無い話だが、そのついでに矢野武アナも褒めたかったんでね。

とにかく、いいアナウンサーというのはまさにマエストロなのです。


※このインタビューでは、実はその「アナウンサーの職人気質」つまり同業同士の意地の張り合いや角突き合わせる様子というのも断片的に伺えて面白かった。
アナウンサー同士のそのライバル意識は、いつか取り上げたい。



おまけ・若林の名調子を活字にしたものがありました。

以前、まだブログをやる前にタイプしていたものです。
1994年(かな?)日本武道館「三沢vsウイリアムス(三沢防衛)の、ウイリアムス入場シーン

(武道館の映像)
「肉体と精神を叩きのめし、魂をせめぎ合う格闘技プロレス。
戦いとは魂の灯火。
四角いリングに二つの魂はいらない。
三冠統一ヘビー級選手権試合、日本武道館です。


(三沢控え室)
「・・・一人の男が勝ち、一人の敗者が去る、それが闘いの論理。その頂点に立つ王者・三沢光晴。」


(ウイリアムス控え室)
「その牙城を、戦慄の垂直落下岩石落としが砕くのか?チャレンジャー、スティーブ・ウイリアムス
「さあ、挑戦者ウイリアムスの入場です。
”not for ゴディ、for ウイリアムス。
ゴディの為ではなく俺のためにミサワに勝つ。
(註:このときゴディの病気欠場のため、彼が挑戦権を得た)
必ず俺の時代がやってくる、今の俺はクレイジーだ”
というウイリアムス。 


90年2月、全日本マット初登場、以後盟友ゴディとともに5回にわたり世界タッグ王座に君臨した男が、今シングル世界最高峰の三冠王座を目指し、全てを賭けて参ります。
闘うために、勝つために3年半の間、この日のために鍛え、努力し、苦しみ、耐えてまいりました。
自分を信じろ!スティーブ・ウイリアムス
自分の力を信じろ!スティーブ・ウイリアムス
小橋を破り(註:この直前、小橋と挑戦権を争い勝利)この夏一番熱く、熱く生きた男。
荒ぶる魂そのままに、リングを駆け抜ける!」・・・・

これを選んだのは、一番優れているからではなくたまたまその時テープがあった試合ですね。
さらに印象に残っているものも多い