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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

街でキリスト教の布教者が煩かったら、こう議論を吹っかけろ(「日本思想論争史」より)

ちょっと遠方の図書館にあったこの本を久々に借りることができたので、手元にあるうちに紹介しよう。

日本思想論争史 (1982年)

日本思想論争史 (1982年)

古代から明治までの日本人の生きた思想史 神道・仏教・儒教・武士道・キリスト教など日本の諸思想間に発生した論争および対立がいかなる問題を含み、時代の流れの中でどのような経過を辿ったかを展開するロングセラー。

目次●外来思想の受容と日本化をめぐる論争/
中世における歴史意識と美意識をめぐる対立/
近世諸思想の論争/日本の近代化をめぐる論争。

奈良仏教vs鎌倉仏教とか
国学vs儒学とか、
ここでも何度か取り上げた
赤穂浪士の討ち入りは義挙か」論争など
文章が古典の引用が多く、読むのに骨であることを差し引いても、読み直して実に面白い。
機会あれば紹介したいところだが、いささか実用的で、また個人的にも興味があるトピックを書こうと思う。

それは日本に1549年にキリスト教が入ってきて以来の受容史、そしてその裏面と言える排除史、論争史だ。
そういえば、来年は日本伝来560周年。微妙に中途半端。


なんでこの問題を語るかというと、うちの小学校の近くに、へんてこな信者団体があって、またキリストの事跡と、その教えを伝える紙芝居とか、漫画風の小さいパンフレットを配ったりしてたのね。で「神を信じないと地獄行きぞよ」と、オカルトやUFOが好きで、しかもバカな子供たちを脅すので、ひょっとしたら自分も300歩ほど間違ったらキリスト教信者になったかもしれないのだ。
だが、子供心にいろいろキリストの教えを知り、「おいおいここ矛盾してねー?」と自分独自に考え付いた神学的疑問というのがあったのだな。
そして、それってこの本を読むと、江戸時代や戦国時代の日本人が抱いたキリスト教への疑問とそっくり同じなの。
数百年前の人と考えることが同じなのは嘆くべきか、
それとも当時一流の知識人らと同じなのだから、喜ぶべきか。

ま、こんな問いです。

天主エホバが全知全能の神なら、悪魔をなんで作ったの?

天使が堕天使になること、アダムとイブが騙されたことを見抜けなかったの?

このへんは、あたしの仄聞するところによると、本場のキリスト教業界、全一神教業界の中ではいろいろと課題になていたようで、一時はマニ教的?な二元論(善と悪は互角の別物)のほうが優勢だったり。
いま、正統的な神学としては、天使に最上の価値としての「自由」を与えられ、その「自由」には「堕落の自由」も含まれていて−−−ということになるらしいのですが(三浦綾子のエッセイを読んだだけなんですけどね。)なんか深いことを言ってるような、ごまかしてるような(笑)。


当時の日本人も、そこにつっこんだそうな。
山本七平が著書「日本教徒」で紹介していた人物なので個人的には以前から知っていたが、たぶん一般的には無名に近いハビアン(不干斎ハビアン)という人がいる。
最初は臨済宗の僧から転向した熱心なキリスト教信者で、儒教仏教神道にくらべてキリスト教がエライ!とする「妙貞問答」を書いたが、その後キリスト教を正式に棄教、「破提宇子(デウスを論破する)」という本を書いた、まあ戦国時代の西部邁藤岡信勝か(笑)。
あ、今思い出したけど井沢元彦「逆説の日本史」にも出てきたかもしれない。


この人がその「破提宇子」の中で書いている。
デウスの賞罰については堯・舜(中国の聖なる伝説の王)という『人王』すら聖王賢君が民のために仁愛の政治を施いたのに、デウスが勝手に無数の人間を作成しながら『地獄に堕し、一日一月の間のみか、不退永劫の苦に苦しみを受けさせするを大慈大悲といえるか否か…』」

彼は『ルシヘル』を創造しながら、その堕落を予見しえなかったデウスの無能力さについて『知らずんば三世了達の智と云へるは虚談なり。又知りながら作りたらば、慳貪(けんどん)の第一なり」と批判し、さらに人間の祖とされる「阿壇(アダン)」と「慧和(エバ)」」の失楽園の説に関して…(略)…神の戒めは「誠に笑具の第一」で…るしへるの場合と同様に、全能のデウスがアダムとイブの堕罪を予知できぬのもおかしく「知りたらば慈悲ノ上より科に落ちぬ了見を、アダン・エバに教えらるべき義
(※神様よ、お前分かってんならアダムとイブに『悪魔が誘惑してくるから食べちゃダメよ』と教えとけや)


いやまあもっとも。

聖書とキリストを信じた者のみ救われるんなら、あんたらが来る前の日本人はすべて地獄行きじゃん!それは神様のせいじゃないの?

同じく山本七平が「日本資本主義の精神」などで禅的プロテスタンティズムとして紹介した鈴木正三も、キリスト教批判者の一人だそうだ。たぶん無教会派キリスト教山本も、もともと神学的な興味で鈴木やハビアンを研究したのだろうね。


鈴木は言う。
「(デウスは)天地の主にして国土万物を作り出し給うならば、何として、其のデウス、今まで無量の国を捨ておきて、出世し給わざるや」(デウスが天地の主で万物の創造主なら、なんで教えを伝えない国をほっておいて、そういう国には現れないままだったの?)

でうす天地の主ならば、我作り出したる国々を脇仏にとられ、天地開闢より以来、法を弘めさせ、衆生済度させ給うこと、大きなる油断なり」(デウスさん、アンタがこのへん一帯シメてるつーのがフカシじゃないんなら、何でこのへんをザコの仏陀どもに仕切らせてるんスか?マジ、信じられねーんすけど)


本書でも要約されているから、分かりやすく彼らの言説をまとめると
デウスが全世界の創造主であり、救い主であるならば、なぜそのお計らいにより、その教えが今日を待たず、始めからこの地方に宣べ広められるようにしなかったのか」という問題提起だ。


一応、当時のイエズス会の回答としては
いや、この教えは実はみんなの心の中にあるんだよ最初から。うまくやれれば、山の中で一人で育ったような人間だって、聖書なしでも神の教えに到達できて天国行けたンだけど、できなかっただけでそれは自業自得。今回は、お前らがなかなか自力では正解(神の教え)にたどり着かないから特別大サービスでヒントあげちゃうよ!ってこと
とううことらしい。いやマジ。


この話、たしか司馬遼太郎もザビエルの出身地であるスペイン・バスク地方を「街道をゆく」で旅した時に紹介していたはず。ザビエルが故国だか法王庁に当てた手紙が残っていて
「ここ(日本)の原住民、かなりツッコミ厳しいでえ。わしはアリストテレスの哲学をごっつ学んだからなんとかごまかせたけどな。こんどこっちに送ってくる奴には、あらかじめガッツリとアリストテレス精進させとけ」と書いていたらしい。


なんでアリストテレスの哲学と、上のような話が関連するかまではわかりません。


ちなみに、布教がうるさいといえばモルモン教エホバの証人ですけど、どっちも上の質問をして、返ってくる答えはイエズス会だか法王庁の見解とは別のものでした。面白いものです。

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ときどきこの話題で新情報・新知識が加わるたびにブログに書いていました。
それがTBの形で蓄積されています。参考までに。