かのように、一寸先はハプニングとなったり対戦相手を公募したり、中心選手がフリーエージェントになったり空港に着く前に行方不明になったりする興行、団体を「「ズンドコ」と一部で表現するようになったのですが、ズンドコとはそも何ぞや。
http://www.biwa.ne.jp/~kebuta/MIDI/MIDI-htm/ZundokoBushi.htm
汽車の窓から 手をにぎり 送ってくれた人よりも
ホームの陰で泣いていた 可愛いあの娘が 忘られぬ
戦前戦中の日本には多くの軍歌や軍国歌謡があり、戦争の歴史的評価を超えて歌自体を名曲と評価していいものも多数ある。ただ、それとは別、いや別じゃないところが複雑微妙なのだが、軍人の本音というかそういうものを歌った兵隊歌謡というものもあって、これは一歩ずれると反戦歌になってしまうというぐらいだ。
ズンドコ節だって、「盛大に送ってくれる公式の励ましより、戦地へ行くことを悲しんでくれる恋人のほうが大事だ」ということだからね。
だが、ホンネもあるところまで「まあまあ気持ちは分かるけどね」と含みおいて呑み込むのも日本的組織なのかもしれないし、いや組織全体の共通性かもしれないし。
英語カバー。
http://members10.tsukaeru.net/bito/Zundokobushi.htm
フィリピンで軍隊経験を持つ山本七平は「旧日本軍の中にも反戦歌・厭戦歌は山ほどあった」と言って、富永恭二中将がまさにそのフィリピンから台湾へ逃げた時に、兵士たちの間ではやった「予科練(若鷲)の歌」の替え歌を紹介している。
元歌はこれだが
http://www.d1.dion.ne.jp/~j_kihira/band/midi/JASRAC/wakawashi.html
替え歌はこれ
♪命惜しさに 富永が
台湾に逃げた その後にゃ
今日も飛ぶとぶ ロッキード(※の爆撃機、の意味)
でっかい爆弾に 身が縮む
日本の軍国歌謡で一番人気のある「戦友」(♪ここはお国を何百里…)も、これを聞いて歌詞を訳してもらったある外国人は「これって禁止されつつひそかに唄われた、反戦歌でしょ?」とずっと信じていたという。
なんでこんな余談してるンかね、おいらも。