死去の詳細に関しては「ハイアン・グレイシー」のはてなキーワードでいろいろご覧ください。
まだPRIDEのデータベースは生きているようだ。
http://www.prideofficial.com/free/fighters/details/1091593216.html
喧嘩500戦無敗と豪語する、キレると誰も止められない、一族きってのクレイジー・グレイシー。PRIDE初参戦となった『PRIDE.10』で石澤常光と対戦。パンチのラッシュで石澤を葬り、衝撃のデビューを飾る。
しかしその後はグレイシーハンター桜庭に完敗、石澤にリベンジされるなど、ムラっ気の大きい闘い振りを指摘されていたが、『PRIDE.22』では、兄・ヘンゾの仇を討つべく大山峻護と対戦。戦前からさんざん挑発した挙げ句、試合になれば冷静にタックルで倒し、最後は腕拉ぎで完勝と、改めてその勝負強さを証明している。
さらに03年10月の『PRIDE 武士道』でも「日本VSグレイシー」の大将として登場し、浜中和宏に何もさせず圧勝している。その後美濃輪育久、安生洋二と対戦し、共に勝利を収めている。
ハイアンの「喧嘩屋」ぶりを示すエピソードにはちょっとシャレにならないだろう、というようなシロモノも多く、そもそもよく日本で就労ビザを取って来日できたなあ、という考えもわいたものだった。
試合としては上のプロフィールにあるように、グレイシーの名前のゆえに日本人のプロレスラー、柔道家と闘う機会ばかりになり、そのせいで例えばトーナメントに出場し、同じ階級の選手の中でどれぐらいのランキングにいるのか?を示す機会が無いままに終わってしまった。それもまた惜しい。
無軌道ぶり、無頼もなんとか無事のまま年を重ねたなら、いつか兄のヘンゾ・グレイシーのように成熟したのかもしれないし、そうでなかったのかもしれない。
http://blog.goo.ne.jp/hiroshi_nielsen/e/94c5ef3636f2963b00a758deb07f2574
ちょうど今週発売になったばかりのムック『柔術レジェンズ』のヘンゾ・グレイシーのインタビューに、若き日のヘンゾの暴れん坊っぷりについて語るところで「ハイアン?ハウフ?(俺の)足元にも及ばないよ」と言及していました。
■ヘンゾ・グレイシー超ワル伝説
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20050319#p1
いずれにせよ仲の良かったヘンゾやホドリゴ、ダニエルたちの心境はいかばかりだろうか。
かつて力道山の訃報がアメリカに届いたとき、ルー・テーズはギャングスターに刺された、との死因を聞き「彼にはありえる話だ」と思ったのだという。
ただ、「その最期をも含めて、私は彼を肯定しよう、追悼しよう」と、思ったのだという。
可能性も実力も、未来もすべて十分に生かす前に浪費してしまったのかもしれないが、それもまたある意味、完結しえた人生だったのだろうか。
サムライを強調する彼ら一族だったが、ハイアンはその中でもいわば江戸戦国の「かぶきもの」として振舞い、散っていった・・・のかもしれない。