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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「歴史は俺たちに何をさせようというのか?」「戦極」が旗揚げ

タイトルの元ネタが旧作のほうの「戦国自衛隊」であることを何人が知るのか。
戦極と書いてせんごくと読む。
希空と書いてのあと読む。
まあ名前は慣れればいいだけの話。


本題に入ると、結局UFCに行かない旧PRIDE勢力は複数に分裂したんだなあ、という当たり前の結論に達する。
これはある意味自然なんですよね。
旧勢力が一度敗れ、そこから復活の旗を掲げるときには「旧勢力の構造をそのまま維持し、今の敵と闘っていこう」という門閥貴族的アンシャン・レジームと、「昔のトップたちがアホだから負けた。敵とは戦うが、こっちのトップにはその責任をとってもらわないといかんし、第一かれらが戻って指揮したんじゃ勝てるものも勝てんよ」というドゴールや、ケマル・パシャやナポレオン、ヤン不正規隊のような現場指揮官による、旧勢力内革命軍の両方の流れがある。
これらは手を組むこともあるが、分裂することもままある。
そして各個撃破される(笑)

週刊ゴングの後継誌が2誌もある現状をみろ。どっちがどっちだっけ。


分裂の理由に「コンプライアンス問題」はあるのか

「やれんのか」とWVRが結局一緒にやれなかったことについて、ひとつだけ推測に過ぎないが、気になる話を。
ワールドビクトリーロードはやたらと「公正明大、透明性、闇の金なし」を強調するじゃないですか。それ自体は当然だ。日本に格闘技熱を一時の状態にまで復活させるには地上波放送を復活させねばならず、株主総会が怖い気の小さなテレビ局トップを安心させねばならないんだから。

ただし・・・以前、この大晦日興行復活が噂段階だったときに「テレビ局の”身体検査”で旧PRIDE幹部はOKなのか」という話を書きました。
「公正明大」「透明性」をうたうなら、それ即ち「旧PRIDEの上層部は関わらせない」という話になってしまうんじゃないだろうか(それが名目で、実際は権力争いだということもままあることだが)。それに反発したからこそ、確かに実績のある彼ら旧PRIDEの人々は「俺たち抜きで”やれんのか”。じゃあ『やれんのか』興行をおこなってやる」となったのでは・・・という、これは仮定のストーリーだ。


だから「やれんのか」がこの後、大晦日が過ぎた後に何らかの形で続くのか、そしてその場合、WVRとどう絡んでいるのかは注目しないといけないなと思う。というか、旧PRIDEと闇の勢力がどうこうという話は、業界的にはどうけりを付ければいいのかってことがいまだに分からん。疑惑の大半はオーソライズされていないから、要はテレビ局がまあいいだろう、と思えばそれでいいんだろうし、テレビ局とは関係ない中小規模の興行の場合や、仕事を委託されているだけの場合はわからんしね。

ルールだとか階級だとかはまた後日。