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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

韓国・歴史の謎2「なぜ李朝体制は、内乱を完全に押さえ込めた(よね?)のだろう?」

最近、杉田玄白の伝記や関連書籍を読んでいる。
その成果はおいおい報告しますが、メインの話はさておき、晩年の杉田玄白は自らを「九幸老人」と称し、戒名にも九幸の字を入れた。

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_77f6.html

田玄白の玄白は通称、諱(いみな)は翼(たすく)といい、七十を過ぎたころより、おのずから「七十翁九幸」、または「九幸老人田翼拜」 とサインしたといいます。 さて、その九幸のいみとは、

 一に泰平に生れたること、
 二に都下に長じたること、
 三に貴賤に交りたること、
 四に長寿を保ちたること、
 五に有禄を食(は)んだること、
 六にいまだ貧をまったくせざること、
 七に四海に名たること、
 八に子孫の多きこと。 
 九に老いてますます壮(さかん)なること。

だそうです。               

「一は泰平に生まれたこと」。
この幸いの列挙は時系列で書いてるっぽいけど、まあ、さもありなんと思いました。何といっても戦乱・内乱、治安を含め、まずは「泰平」が保障されねば杉田玄白の翻訳の偉業はならなかったであろう(といいつつ、戦乱の時代に生まれた文化的偉業もたくさんあるからこう言い切っちゃっていいものか迷うが)。

それは最近のイラク情勢を見ても思うわけで「善でも悪でも、とりあえず治安を維持するのが政府の第一義だ」という感想をここから抱いたわけですね。


さて、そこで「泰平の長さ」で見ると・・・・私の乏しい知識では、と保留せざるを得ないが、ほとんど江戸幕府の「パクス・トクガワーナ」とパラレルな時系列で、朝鮮李王朝は平和を国内的にも保っていたんじゃないかしら。
鉄砲をやたらに備えた辺境のトヨトミなんとかいう蛮族王の襲来(笑)や、宗主国の、明から清への政権交代に伴う征服を受けたのはこれはどうにもならんとして、清に(儒教的な意味で)服属してからは、外敵も、また大規模な「乱」と呼ぶ規模の武装集団の跳梁も−−東学党の乱(甲午農民戦争)までは−−防いで、せいぜいが両班の党争程度に政治の暴力性を封じ込めていたんじゃないだろうか。

もちろん、相当な日本通でも「大塩平八郎の乱」をしらないだろうと同様に、たんに李朝時代に起きた大規模な内乱の存在を自分が知らないだけかもしれない。また李朝末期の腐敗や(異文化への)頑迷ぶりもそれは聞き及んでいる。


ただ、秩序維持の一点においては李王朝も相当なもんだったような気がします。
【参考】李氏朝鮮年表
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%cd%fb%bb%e1%c4%ab%c1%af

日本の江戸幕府はどうして平和(内乱予防)を達成できたか?と外国人に聞かれたらかなり詳しく、仮説も含めて論じられる自信はあるが、李王朝の平和維持機能や体制を知りたいと思ったのでした。