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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

5日はカール・ゴッチ追悼大会。ゴッチについてさらにもう一言

http://www.pancrase.co.jp/tour/2007/0905/index.html

カール・ゴッチ氏 メッセージコーナー設置のお知らせ

9月5日(水)後楽園ホール大会はカール・ゴッチ氏 追悼興行と致しまして、カール・ゴッチ氏に向けたメッセージを皆様から頂きたく、ロビーにメッセージコーナーを設置致します。
皆様からお預かりしたメッセージは後日、カール・ゴッチ氏のご家族にお送りさせて頂きます。
パンクラスの名付け親であるカール・ゴッチ氏への温かいメッセージを心よりお待ち申し上げます。
◎設置場所:後楽園ホール5階 ロビー内

遺族(故空中氏の夫人のことかな?)に渡すなら、花とかは駄目だね。メッセージはカードか何かに書いたほうがいいのかな。

それより気になるのが服装だ。
この前感想を書いた映画「キサラギ」は冒頭で、「追悼といってもオフ会なんだから気軽な格好で、明るく送りましょうよ」というカジュアルな人と「故人をしのぶんですから」ときっり喪服を着てきた人がせめぎあう、という話がひとつの挿話として出てきた。
ゴッチさん自身は佐山聡に「とにかく服装はきちんとしろ」つうて、ローリングストーンズのTシャツかなんかも駄目だと言っていたそうだが、「フロリダは暑いから仕方ない」と短パンだったという。当方もたぶん超軽装だろうが、残暑厳しい折なので大目に見ていただきたいと願うばかりだ。

ゴッチの経歴について

自身も今、胃がんで闘病中の斎藤文彦氏が「ゴッチは戦時中、ナチスドイツの強制収容所(キャンプ)に送られていた」という話を今回の追悼に当たって書いていた。
これには当方、驚きました。
というのは、ゴッチ伝説の中で、主に佐山聡が「ゴッチさんは時々『ヒトラーも中々よくやった』『ナチも悪いところだけではなかった』と言っていた」と話していたからだ。
80歳ぐらいの頑固老人は、ことに無軌道な若者を見ると日本でも「徴兵制を復活すればいいんだ!」みたいな放言をよくする。そういう懐古趣味、ことに旧時代的モラールや秩序を懐かしむという意味だろう、ぐらいに解釈して、あまり触れないようにしていたんだが(笑)。それに佐山がのちに「タイガーユーゲント」なるものを組織するミリタリマニアであるし(笑)

しかし、ゴッチ自身がナチ犯罪の被害者であったということになると話は複雑になってくる。
彼はベルギーのアントワープ出身であったことはほぼ事実が確定している。ベルギーとナチとの関係はあれやこれやで複雑なのだけれども、ドイツ第三帝国は、オーストリアをはじめ周辺のドイツ系、ドイツ語圏住民にとっては一種の求心力を持っていた時代もあった。
「ひとつの民族、ひとつの国家、一人の指導者」だからね。

しかし同時に(潜在的)敵国人でもある。
ゴッチがナチのキャンプに収容されていたなら、どんな因縁だったのか。
もはや歴史は、証言台から降り沈黙した。


頑固爺さん二人、片方死んでも「人生一本勝負」は続く(kamiproより)。

kamiproのほうの追悼記事にはまだ触れてなかったな。

ビル・ロビンソンジョシュ・バーネットの話が面白かった。

ビルの基本線は、今までの自伝やインタビューで大体分かっている。
「ゴッチが強いんじゃなく、ウィガン・スタイルが強いのだ」
「ゴッチはウィガンの中では強かったが最強だったことは一度も無い」
「彼はテクニックというよりパワーに頼るタイプ(技術は俺のほうが上)」


今回も、それを再確認するようなもんだが、「日本でのスパーリング」を聞き手の坂井ノブが振ると。

「そのときにカールと約束したんだ。プライベートなスパーリングだから、このことは誰にも話さないと。だからそこでこの話をするつもりはない(キッパリ)」

聞き手は「なるほど、分かりました」と矛を収めるのだが、たぶん時間にして10分もたたないうちに
「(唐突に)……さっきの話の続きをしようか」
と言い出して(笑)、

「69年にジャパンプロレス日本プロレス)のドージョーで、約20分間、私は彼の上でコントロールした」
「15歳のときの(ゴッチでスパーに負けた)屈辱を晴らすことができた」
「先人へのウィガン流のリスペクトとして、極めることはしなかった」


と滔々と回想するのである。お前本当に話すつもりなかったんかと(笑)。もし聞き手が「いえいえ、お二人の約束ですから結構です」とか断固言ったら「あの、君、ちょっと…」と困るんとちゃうかと。

まあビルに対して
「息子の名前が気に入らん」
「北欧はグレコが強いのだからスウェーデン流の名前にしろ」


とか言い出すというゴッチもゴッチなんだが、何はともあれ来年古希を迎えようというビル・ロビンソンが、82歳で世を去ったジムの先輩を追悼するのに、「俺はスパーで勝ったぞ!!」とか言い出す大人げなさぶりはたいへん楽しく、ほほえましい。人間の老後というのは、こうあらねばいけないのだと思うし、ビルもゴッチも経済事情や家庭環境は別にして幸せなのだと思う。
ゴッチが「人生はシンプルだ。愛する妻がいて、自分のレスリングがあった以上、私は幸福だった」と話していたが、”自分のレスリング”の中にはこういう思い出や意地の張り合いも含まれているのだろう。


自分は、この落語を思い出しました。
聞いたことがない方は、何かの折に聞いたり読んだりしていただきたい。

http://homepage2.nifty.com/figo/yz-rakugo.html

「笠碁」


「碁仇は 憎さも憎し なつかしし 」
とは、よく人情をうがったもので、碁というのは負けりゃ悔しいし、こんなヤツと二度と打つものかと別れても、顔が見れなきゃまた淋しくなるものでして、、、
     *
町の碁会所なんざぁ行きますとみんな強いような顔をして打っていますが、これが誰もがわかっているかというとそうでもなく、中にはわかってるんだかどうだか、腕を組んでうんうんうなってのぞいている人もいます。

(略)
「そう、あたしも気にしてましたよ。この間は、たまたまあたしのほうに幸いして3番ほど勝たせていただきましたのでね。今日はお返ししませんと。」
「そうなんですよ。あたしゃ、あれから悔しくて悔しくて、こんどは負けてなるものかと一昨日は隣町のあたしの碁の師匠のところまで習いに行ってたんだ。そこで師匠が言うにはね。『貴方は仕事が忙しくて、このところ碁など打っちゃいないのではありませんか?』と聞くんで、いえ、あたしゃもうそれこそ週に一度は伊勢屋の旦那が来るんで10番も20番も打ってます。そう答えたよ。そしたらね、『それにしちゃぁ、上達してないねぇ、うっかりした手も多いし、、、ははぁ、もしかしたら貴方は待ったをなさいますな?あれはいけません。待ったを許すと、どうも手がおろそかになる。待ったをしなければ、自然と落ち着いて考えるようになって、すぐに上達しますよ』と、こう言うんですな。そこで今日はひとつ待ったなし、ということでやってみちゃぁどうか、とね」
「ああ、待ったなし、そりゃぁいいですねぇ。あたしも日頃から待ったがおおいなと思ってたんですよ。あっちこっち待ったばかりしてると、終いにはあたしゃ、碁を打ってるんじゃなくて、待ったを打ってるんじゃないかと勘違いするんですよ。」
「よし、じゃぁ決まりだね。じゃぁ、さっそく一番」

こうして待ったなしという約束で打ち始めました・・・・…

ジョシュ「俺がゴッチだ!!」(どこかで聞いたような…)

ジョシュは新日参戦時代、ゴッチや藤原の技術が残ってるはず!と期待して、いわゆるワクテカで新日でのスパーリングに勇躍臨んだそうだが、そんなの「忍者なら少林寺の僧侶を一人でやっつけるはず!!」ぐらいの迷惑な日本への偏見(笑)。
けっきょくジョシュと互角にやり合える相手はいなかった(当たり前じゃ)そうで、それを見た藤波が「ゴッチさんを思い出した!」と驚愕。

そのときボクは『新生カール・ゴッチになる!』って宣言したんだよ。たぶん、だれも覚えていないと思うけどね(笑)。だから、いまこそ『ボクがカールゴッチになる!』ってあらためて宣言したいね(P138)

もし本当に(新日内で)新生ゴッチになるなら、信憑性の高い資料「プロレススーパースター列伝」送ったのに(笑)。
「やる気のないやつは帰れ!!おまえはもう来なくていい!」
「中村、君の目標は打倒・棚橋弘至だな?スペシャルホールドを授けよう」
てな感じで。しかしそれで経済的に困窮して
「リアルフィギュアは高い……ガシャポンにしておくか」となっちゃまずいしね(笑)。

で、この「僕がカール・ゴッチになる」は。おいおいそのままここのコメント欄で教えてもらった

ではありませんか。http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20070308#p6を補足で参照。
つながるもんだね。ジョシュの場合「これを知っている」可能性も6%ぐらいはありそうで怖いが(笑)。


ただし明日は台風の影響で悪天候かも

観戦予定者は気をつけて。