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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

藤子・F・不二雄は北野武映画が大好きだったという意外。

http://d.hatena.ne.jp/koikesan/20070822

 ・・・…藤子・F・不二雄先生は北野武監督の映画が好きで、先生が亡くなるまでに公開された北野映画は全部観ていたそうだ。とくに『ソナチネ』を絶賛していたとのこと。

 晩年の藤子F先生が、『ソナチネ』のような劇的な演出を加えない方法で暴力や死を描いた映画を好んで観ていたという事実は、少し意外な半面、納得できる部分もある。

(参考資料:「本の窓」1998年3・4月合併号 正子夫人インタビュー)

自分にとってはかなり意外。
というのは、藤子・F・不二雄氏の漫画のかなり大きな特徴は、自分は「つじつまが合っていること」だと思っているからだ。

「何がああなって、これが原因で、最後にはこうなる」というのが、どんなページ数でもきっちりと説明されている。これはパートナーのA先生が、途中から意図的にそれを放棄した作風にしたのと比べても際立つし、その後の「破壊的ギャグ漫画」にもつながっていない。
だから自分は、賛同者はあまり多くないが(笑)「今の漫画界でFの正統な後継者は椎名高志」だと言いつづけているんだよね。過去ログ参照。


対して北野武映画は、その全体的なできばえがどうだろうと、かなり「説明」や、「あれがああなったので、その結果こうなるんです」というかっちりした因果関係とかとは縁がない。
そういう点ではかなり対照的じゃないかなあ、と思っています。
ただ、そもそもクリエイターって、一消費者、視聴者としては自分と同じ作風を好んで接するのか、それとも正反対のものがすきなのか?
たとえば「ハチミツとクローバー」の作者が「デトロイト・メタル・シティ」が好きだったり「鋼の錬金術師」の作者が「さよなら絶望先生」が好きだったりするからなあ。藤子氏の北野好きなんて、してみれば意外ではないか。