http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/hassinbako/news/20070514ddm002070049000c.html
「発信箱」の中でも与良氏の記事は面白い、と折に触れ書いてきたが、今回も紹介。
これ、本文と見出しがやや乖離していて、本文はもっと皮肉を込めているようだけど。
発信箱:「親学」は必要である=与良正男
新聞記者になった1981年は全国の中学で校内暴力の嵐が吹き荒れていたころだった。私も何度か取材経験がある。
思えば安直な記事を書いていた。暴力ざたが起きれば学校の管理責任を追及し、学校が管理を強めれば「行き過ぎ」と非難する。一方で暴力をふるう生徒やその親の話にはほとんど触れることはなかった。結果的に何でも学校の責任にしてしまう風潮を作ってきたのではないかという思いが今ある。
政府の教育再生会議が提言しようとした「親学(おやがく)」の評判はさんざんで公表を先送りしたそうだ。ただ、「母乳を」といった中身はともかく、家庭に焦点をあてた問題意識は間違っていないと思う。
確かに昨今のいじめ事件など学校や教育委員会の対応はあぜんとする。でも、なぜ暴力やいじめがいけないか、本来、家庭ですべき話を学校に丸投げしている親がどれだけ増えていることか。
こんなふうに書くと「政府の片棒を担ぎ、価値観を押し付けるのか」と反発する人も多かろう。それはまっとうな反応であり、実はそういう人には親学など必要ないのだ。
ところが、本当に必要な人は多分、このコラムも目にすることはない気がする。経済的に逼迫(ひっぱく)していたり、元々まるで関心がなかったり。「親も学ぼう」というメッセージを伝えることさえ難しいから、話は深刻なのである。
彼らが学ぶ環境を本気で作ろうと思ったら、人手もカネも相当な支援が必要だ。教育再生会議が政府に提言すべきはそれであり、そうでないから単なる放談会と見られてしまう。(論説室)
毎日新聞 2007年5月14日 東京朝刊