思い出した、コメント欄は逆に検索にひっかからないんだっけ。サルベージしておこう
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20070322#p3の自分の記事からつながるコメント。
fullkichi1964 ( http://d.hatena.ne.jp/fullkichi1964/ )
『ふるきちと申します。今回はトラックバック及び本文を引用していただき有り難うございます。光栄です。
「1976年のアントニオ猪木」、ご指摘の通りオランダ格闘技界の愛憎の歴史として読んでも十分に面白いのですが、何より「馬場を飛び越えモハメッド・アリになろうとした」アントニオ猪木が結果的に韓国・パキスタンそして日本の3カ国のプロレスマーケットを壊滅させていった、すなわち「特異な天才は時として周囲をことごとく不幸にしていくものである」というどんなジャンルの歴史にも当てはまる悲喜劇を描いたものとして、やはり万人に読まれるべき名著ではないかと思います。勝手な愚見披露、まことに失礼いたしました。』
アラシ山 ( http://ameblo.jp/smackgirl/ )
『肝心の事実探求問題で、首をかしげる箇所がいっぱいあるので、さすがに名著にはならないかなあというのが個人的な感想です。そのあたりもあって、グリフォン大先生は、枝葉のオランダ愛憎劇を面白かっているような気も。』
fullkichi1964 『なるほど、「人のふんどしで・・・」的な要素も結構ありますものね。実際個人的には「そのあたり」をこそグリフォン先生につっこんでいただきたいとも思うのですが。』
アラシ山 『ペールワン戦、パクソン戦は、証言者があまりに少ない為、その真実はなかなか分かり難いところにあると思いますけど、明らかに不当に評価が低いのはU系4人(?)で、船木と佐山は、それはないでしょという記述が多いですね。まあそのあたりまで本気で探求してたら、本の分量は3倍になってしまうだろうし、しょうがないような気もしますが。プロレスをケツが決まっていると断定し、逆に決まってない特異点を記述して、そこからある意味を引っ張りだそうとするのは、それ自体は村の外にいないと出来ない試みで充分面白いけど、それが猪木の3戦だけだと、かなり違和感があるのは確かで。逆に決まっていたルスカ戦を巡る記述の方が面白いという。それは既に決まっていたことが知られていた為、特に掘り下げられなかったからではないのかと。が、まあペールワン戦、パクソン戦とも、新事実(かどうかは謎ですが)満載であることは確かだと思いますけど。
と、後はグリフォン先生の仕事ということで。』
fullkichi1964 『僕がむしろ気になってたのは、たとえば猪木対ロビンソン(これは75年ですが)を語るときに宮戸に技術解析させちゃうようなとこですね(笑)。それは説得力にずいぶん欠けるんじゃないかと(^^;)。後、うちのブログにも書いたんですが、猪木の格闘家としての欠陥としてタックル技術の無さを指摘したのは一応功績と言えると思うんですけど、だからといってロビンソンのタックルを称揚するのはどうかと(笑)。あそこはたとえば船木対モーリス・スミス第2戦の時、高橋についてタックルを学んだであろう船木が見事なタックルを決めてスリーパーにつなげた、あんな場面が猪木の異種格闘技戦には皆無であることなんかにも触れて良かったんじゃないかと。
まあ結局76年にこだわったことに良い点も悪い点もあるんじゃないかと思うんですね。翌年のグレート・アントニオ戦なんかも猪木の非道ぶりを語るには格好の素材なんですけどね(^^;;;)。』
アラシ山 『そうそう、猪木の非道ぶりっては別に76年に限ったことじゃなく(笑)。特異点はいっぱいあるんですよね。だから、やっぱり76年のあの3戦に限って、それを現代の総合と強引に結びつけるってのは、かなり無理があると思うんですよ。』
それぞれの、同書を論じたエントリは
http://d.hatena.ne.jp/fullkichi1964/20070320