「週刊ファイト」と共に生き、ファイトが終わると同時に去っていく。
弟子のターザン山本
http://www.ibjcafe.com/talk/tarzan/a/2006/20061221120130.htm
プロレスだけが人生だった人である。
新大阪新聞社に入社してからは社会部の記者になり、そのあと運動部へ。そして最後は『週刊ファイト』の名物編集長として活躍。
(略)ボクがベースボール・マガジン社のプロレス編集部に移ると言った時、実は一番、かげで喜んでくれたのは井上編集長なのだ。
だからボクは井上編集長のかわりに東京に出て〝井上イズム〟をプロレス界に広めていくんだと心に決めていた。
井上編集長ができなかったことをボクがやる。それが最大の恩返しであり、そのことは井上編集長も望んでいたことである。
『週刊プロレス』の編集長になった時、初めてボクは井上編集長との約束を果たすことができた。
何か休載続きで、何度もこういうところから鬼籍に入る執筆者を見ていたから、逝去はああやはりと思った。
だが、胃がんと聞いて驚いたのは、告知のある無しに関わらずそういう重い病と付き合いながら、ちっともそういう部分を表に出さずに「○○には殺しが足りん!!」「巨人にバードをやらせろ」ドンッとやっていたという点だ。
中国では古来、負傷箇所を縫ったり手術したりする際、熱中して痛みを忘れるよう患者に碁をやらせていたという(三国志の関羽もそうやってたね)。今はがんなどの患者には、いかに余命を楽しく送れるかのQOL(クオリティオブライフ)が重んじられているが、井上氏にはプロレスと格闘技が”鎮痛剤”となったと思いたい。