原作者は聞いたことがないが、PNを変える人も多いのでどうなんでしょうか。その世界では超有名かもしれない。
小畑健『BLUE DRAGON ラルΩグラド』
(原作:鷹野常雄=たかのつねお=下から読むと「お熱の方」)
という。話題が遅くてすまんが、昨日読んだばかりなのだ。しかし、二回連続でメガヒットだかギガヒットを飛ばしている人が、1年も休めないのかいな、シビアだなあ。
それともクリエイターの「魔」が、新しい作品を生み出したくてたまらないのだろうか。
さて、この異世界ファンタジーを読んでみる。いろいろ細部の設定は練ってあって最初としては面白い。
では、このストーリー・面白さを「因数分解」してみよう。
◆主人公は、超自然的な、卓越した力を持つ(二面性というか、変身ヒーローでもある)。
◆そしてその主人公は、無垢・無邪気・無知・・・・・なんと言っても良いが、とにかく半身は「イノセンス」である。
◆そのため、特に正義の側に立つという動機付けも無い、弱い。
◆正義の側に立つのは、たまたまそっち側に主人公をコントロールできる存在がいるからである
◆その存在は、主人公を擬似恋愛、または性的魅力や母性でコントロールする
・・・まあヒットの予感は十分の使い勝手のいい作品だ。
こう因数分解したものから、先行作品を探していくと・・・掲載誌は少年ジャンプであることだし、おのずから
- 作者: 萩原一至
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2003/05/20
- メディア: コミック
- 購入: 2人 クリック: 39回
- この商品を含むブログ (21件) を見る
なんて作品が思い浮かぶ(さて、こう書いた人は、はてなだけで何人目でしょう?)。
ところが、思い浮かぶだけで、こっから先は他人に任せるしかない。
つーのはこれ、少年ジャンプで絵が大荒れに荒れたり連載を落としかけたりして、問答無用で打ち切りを食らったというスキャンダルでしか基本的に覚えてないからだ、俺(笑)。
いや、その後もたしか姉妹誌に場所をうつして、サムライが出たり相手に四天王がいたりしてあーだこーだで、けっこう面白かった記憶があるのだが、最後はいったいどこで何がどうなったんだか。
詳しくないのに例に挙げてこの作品のファンの方には恐縮ではあるが、とりあえず初期のながれでこじんまりとまとめたほうがよかったのではないか。
少年ジャンプ編集部の中にも「あの作品の基本コンセプトは間違ってなかったんだ。ちゃんとやって完成させたい」という思いを抱く人がいて、復讐戦をやりたいって気持ちがあるんじゃないかしら。(妄想です)
さて、「BASTARD」だけにかかずらわってはいられない。
もっとこの因数を分解していくと
「スーパーパワー + それを操る平凡人(肉体的にはスーパーヒーローではない人)」
という図式となる。
http://www.geocities.jp/jyiron2006/yokoyama.htm
ある時は正義の味方 ある時は悪魔の手先
いいも悪いもリモコンしだい 鉄人鉄人どこへ行く
元祖探しというのは大抵荒っぽいが、これがざっくりいうと元祖みたいになるのかなあ。
これはやっぱり、その平凡人に感情移入をさせやすいという理由かもしれないし(現在病気療養中の竹熊堅太郎竹熊健太郎氏が打ち立てた「メガネくん理論」ってやつだね。早いご快癒をお祈り申し上げます)
また、女性読者はやっぱりここに擬似恋愛を見て
「彼はすっごいヒーロー、エリート(or不良・ワル)だけど、なぜかあたしには弱いのよね」
みたいな方がウケるのかもしれない。じぇんだーの因習と束縛ってやつですな。
あとは、ごく一般的にホームズ・ワトソン以来、こういうコンビ構成のほうが話を作りやすいともいえそうだ。
中国古典講談は、かの大陸で長く続いた思想に基づき「君主は細かな才能ではなく「徳」を持ち、北極星のようにでんと座って待っている」というパターンも持っている(劉備、三蔵法師、水滸伝の統領など)。これも微妙に影響しているのかもしれないな。
だから、この漫画が男性・女性、もしくはどの年齢層に人気を呼ぶかは興味深い。
あと一つ、うまくここから「SF復権」につながらないかな、と思ったりもするがそれは多分ないない(笑)
ただしかし、第一回連載を見る限り、私が口をすっぱくして言ってる潮流、すなわち「ルール設定」に関してはかなり精密にやる気があるっぽい。
敵の性質とかその国の法律とか、怪物、ヒーローの能力・弱点をあらかじめ細ーーかく設定して、その中でそれを利用してストーリーを作るというやり方が今、いろんな人気作品で出ている。自分は個人的な好みとしても、こういう設定が細かく緻密であればあるほどシャッポを脱ぐ。
もちろんこれって、諸刃の剣であってこういう設定がその後足を引っ張ることも多数。
無かったことにするとか、
「伏線にこだわって少年漫画がやれるか」と開き直るか、
「俺の怒りのパワーが制限を突き破った」とかでごまかすしかない。
(下2点は、BASTARDに出てきた)
今回、この緻密な設定、「ゲームのルール」が上手くいかせるか。原作者の腕次第。
小畑健といえば銃刀法云々があったが
あれに対して大きな疑問がある。 つづく。