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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

自殺の連鎖について

http://www.sponichi.co.jp/society/news/2006/11/13/01.html

愛媛で県立高の校長自殺・履修問題で悩み
 6日午前7時半ごろ、愛媛県新居浜市にある県立新居浜西高校の政岡博校長(60)が同県松前町の自宅で首をつって死んでいるのが見つかった。伊予署は状況などから、自殺とみて調べている。



小学5年生の女子児童(10)が、1年間にわたり、同級生から恐喝の被害を受けていたことが発覚した問題で、児童が通う北九州市の市立小学校校長の永田賢治さん(56)が12日、同市の林で首をつって死亡しているのが見つかった。八幡東署は自殺とみて調べている。永田校長は恐喝被害について市教委に「金銭トラブル」と報告しており、11日に謝罪会見したばかりだった。


自殺というのはそれぞれ個別の理由というものも確実に存在するけど「連鎖」するという部分もまた確実に存在する、という(特に子供はなおさら)。この前筑紫哲也氏が珍しく、興味深い問題提起とスタンスを示している

私どもの番組をよくご覧いただいている方は、子供のいじめと自殺の問題を私たちが微に入り細に入りお伝えしていないことにお気づきだと思います。

社会的に大いに関心のあるテーマであることは分かっておりますし、起きたことをきちんと伝えなければ報道の役目を果たせませんが、しかしながら、いじめや自殺の問題というのはきちんと伝えないと隠されてしまう恐れもありますけれども、しかし、一方で大変悩ましいのは、自殺というのは伝えようによっては非常に連鎖反応を起こしやすいということであります。

専門の世界では「群発自殺」なんていう言葉もあります。特に、子供や思春期の場合はそうでありますし、その上、私たちの国は大人を含めて近年、自殺の大変多い国であります。


しかし、それは日本だけの問題ではなくて、自殺をどう扱うかは高度な情報が発達している世界の中で難問でもあります。このため、WHO=世界保健機関は、自殺報道についての勧告を出しております。「写真や遺書を公表しない」「自殺手段の詳細を報道しない」「自殺の理由を単純化しない」「自殺の美化やセンセーショナルな報道は避ける」ということであります。


一律に全てのことがその通りに行くとは思いませんで、私どもも悩んでいるわけでありますけれども、しかし、自殺を予防するための努力を含めて、こういうことが起きないための報道と言いましょうか、そういうものにこれからも心掛けたいと思っております。

もう少し、詳しい具体的な解説は
http://www.lifelink.or.jp/hp/jisatsuhoudou.html
にある。

○日本における自殺報道の現状
・個々の自殺の手段を詳細に報じる傾向
 例:X-Japanヒデ氏の自殺報道、ネット自殺報道、練炭自殺についての報道
→新しい自殺手段が入手可能であることを大々的に宣伝してないか?
→模倣自殺(ウェルテル効果)
・自殺を考慮中の人が読者に多数いることを前提とした報道がなされていない。
→そのような人々をサポートするメッセージ等がセットで紹介されていない。


さて、こういう勧告・・・・押しなべて言うと「報道を制限せよ」というお上からのお達しである。これは、「報道の自由」を制限するものなのか。

根源的に考えれば、「もちろん、報道の自由を妨げる」という答えだと思う。
で、思考停止するわけにもいかない。「妨げちゃまずいのか?」という話だってある。

つうか、もっと広げると「医学的合理性」という神は、いま、あらゆる原則や権威の上にあるのだってことっす。



たとえば大災害の時のトリアージ
「手当てを施しても助かりそうも無い人間(+しばらく放置しても命に別状がない人)は後回し。治療が有効な人を優先させます」
というのも、本来的の一般的な社会のあり方から考えると糾弾されるべき話になる。助からない人だといって、最後まで全力を尽くさなくていいのか!!ってね。



また、たとえば昭和天皇に関して、「おそれおおくも玉体にメスは入れられない」と手術をしようとしなかった古い医者もいたが、最後は手術に踏み切った。


民主主義の本道をなす「報道の自由」も、それ以前の最高権威である「王の尊厳」も、「医学的合理性」という新たな最高権威に対しては膝を屈する。今後の生命倫理の議論に関しても、それと同じ部分が出てくるだろう。