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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

皇室に男子誕生の日に書く「太陽」(昭和天皇映画)の感想

さて、いつパソコンがフリーズしてかけなくなるか分からんまま書く。こりゃスリルだ。
本当は、夏のことをまとめてソーカツするなかの一つにしたかったのだが、まあいいや。


今、昭和天皇を描いた「太陽」が公開されていることは何度か書いた。
さすがにリスクを取ればリターンがあるもので、公開館は私が行ったときも含めて押すな押すなの大盛況。
ちょうど公開期間にあわせて「富田メモ」が話題になったこともあり「スキャンダルを経営に結び付けられないやつは興行師失格」というアントニオ猪木の言葉どおりに興行的にも大成功だそうです。

http://www.eiga.com/bunkatsushin/060905/02.shtml

単館系異色2作品「時かけ「太陽」が都内で絶好調

 2本の単館系作品が絶好調の成績を続けている。大林宣彦監督による往年の名作と同名のアニメ「時をかける少女」と、第二次世界大戦終戦前後の昭和天皇の姿をロシア人の監督が描いた「太陽」の2本。

 7月15日からテアトル新宿で公開された角川ヘラルド映画配給「時をかける少女」は、同館で上映されたアニメとしては過去最高の成績となった。8月26日に興収6000万円を超え、これまでのアニメトップ成績であった「人狼」(00年)の5800万円を上回った。

 一方、8月5日から銀座シネパトス(2館)で公開され、同館での一興行記録を更新してきたスローラーナー配給「太陽」(監督:アレクサンドル・ソク―ロフ/主演:イッセイ尾形)は8月25日で興収4000万円を超えた。テレビはじめ各マスコミで取り上げられて、話題がさらに広がっている。映画界の関心も非常に高く、東宝の高井英幸社長、東映岡田裕介社長も劇場に足を運んだ。


映画の内容や背景は・・・・ここを読めばいいので大幅に(略)。
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20060318
http://www.narinari.com/Nd/2005064631.html

さて感想というかスケッチ


この監督はいろんな意味で画面に象徴的な意味をまぶしているそうな。
私はこの種の深読みはあんまり得意でも好きでも無いので、あえて表層的に見ます(それしかできないか)と、映画のストーリーとしては結構、古典的な部分もあって、そういう点で楽しめるんじゃないかな。

メインストーリーは王道?・・・いや王だけどさ(笑)

つまり
「王様は、みんなに畏れられて、うやうやしく、神聖に扱われているときはちっとも幸せではありませんでした。一人の人間として扱われ、自由に生きはじめた時に、本当の幸せを得ることが出来ました」

という。貴種流離譚・・・というとちょっと違いますけど、乞食王子やローマの休日、といった話の、まあ親戚筋ではありますよね。


マッカーサーとの緊張関係

んで、最初の部分は大戦終末期の現人神、そしてその後にGHQ占領下の「敗戦国の王」としての話になるんだけど、これがハリウッドだったら「王様と私」(これは嫌い)、「ドリトル先生の郵便局」(これは好き)、(また日本でいえば「冒険ダン吉」、あるいは一「ゴー宣台湾論」の一部)みたいに、「蛮族の長に文明のヒーローが進歩を教えました、王も極めて優秀な、文明の生徒でした」という感じの勧善懲悪ものになったかもしれない。

しかし、ロシア人監督だったのがもっけの幸い、マッカーサーに関しても映画の目はかなり皮肉で相対的、むしろ天皇に対する一種の悪役として登場している。


これは歴史的にみてもその通りらしく、保坂正康氏がサンデー毎日に最近連載していた昭和史レポによると、やはり両者の間には相当な緊張感があって、どっちがどっちの住居を訪ねるか、とか、マッカーサートルーマンに解任されたときに見送りにいくか行かないか、などなど相当な「見えない闘争」があったらしいのだ。ある意味、源ナニガシや徳川ナニガシと天皇家が闘ったあの歴史の再現かもしれなかった。

これは、この本によるとその後昭和天皇がフルムーン旅行で初訪米した際にも再燃したそうだ。

昭和天皇とその時代 (文春文庫)

昭和天皇とその時代 (文春文庫)

(今、同書が手元にないのであとで引用します)



このへんは自己を英雄神話で飾り立てるのが大好きだったマッカーサー氏が、上の「王様と私」のデンで「いやー、俺っちのガツンと占領したらさ、みんな舎弟になっちゃってさあ。あそこのエンペラーともマブダチよ、マブダチ」と言いたがったんで、見えにくくなっている。つまり「あのエンペラー、気合入ってるっすよ。偉大なジェントルマンだったよ。で、それに尊敬された俺ってやっぱすごくね?」って言いたいばっかりに、昭和天皇のほうも彼は神話でかざっちゃったわけで。(そもそも両者の会見で何が話されたかが今だ確定していないのはご承知の通り)


そのへんの微妙な感情が、画面から伝わってきたのはたいしたものだ。
アメリカ人のGiたちが、いかにもアメリカ人的な「陽気な合理主義が生む傲慢と無神経」によってパシャパシャ写真を撮影し、チャップリンに似ていることを持って、一国の王を「チャーリー!」と呼ぶところもその摩擦の象徴だろうか。
これってさすがにフィクションかと思ったが、写真撮影はともかく、GIたちが天皇チャップリンそっくり論をささやいていたのは史実なんだそうだね(笑)


畏れ多くもかしこくも

んで、その中で占領下の屈辱やマッカーサーからの圧迫感を感じつつも、昭和天皇は徐々に人間らしく、自由人らしくなっていく。
ただし、周りの人はまだ「現人神」的におそれおおくもかしこくも、という感じで昭和天皇に接しているので、そのギャップがギャグになっていくのは町山ブログの指摘の通り。
また、もう一回下世話に言うと「目黒のさんま」的ギャグだとも言える。
だからこの部分もとっつきやすい。

天皇が侍従の額をペチリ、というのは、「笑の大学」でいうところのざぶとん回し(見て無い人には、わかんない比喩だな)、主役イッセー尾形笑芸人ムーブを見せるためだったかとも個人的には思ったが、あとひとつの見せ場である、科学者を御所に招くシーンは、実に笑える。
科学者は恐れ多くも昭和天皇にお座りなさいとすすめられ、ではどこにどうやって座るのが一番不敬に当たらないかと右往左往するのだ。


さて、この部分をみた水木しげるファンは

猫楠 南方熊楠の生涯 (角川文庫ソフィア)

猫楠 南方熊楠の生涯 (角川文庫ソフィア)


での、南方熊楠ご進講をめぐる十数ページに渡る挿話を思い出すはずです。
水木氏は「河童の三平」にも何気に昭和天皇(にしか見えない人)をフツーに登場させており、「猫楠」での天皇は再登場。
熊楠さんと昭和天皇のお辞儀のし合いや、昭和天皇の「(いすに)おかけなさい」という言葉にいちいち熊楠先生が感激するシーンなど、相当にインスパイアされてるんじゃないかあとね。



御製「雨にけふる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ
ちなみに、この映画では昭和天皇がなぜか明治天皇にまつわる非科学的?な話を持ち出し、おそらくは素直な尊王家であろう科学者にそれを否定される。たぶんココは神格をめぐる寓意がいろいろあるんだろうけど、そこを論じるのは私の役目ではない(できない)。


「人間」へ

そして、最後に疎開先から皇后と皇太子(彼は画面には出ない)が戻り、普通の夫婦のような幸せなひと時を過ごす。
ここで皇后のヘアピンが髪に絡まって昭和天皇がそれを直すところは、脚本にはない偶然のアドリブだそうで。そういえば、秋篠宮殿下と紀子様のご結婚時も、こっちは逆に妻が夫の髪を直すシーンを撮った写真を、宮内庁が発表を差し止めようとした一件があったんだよね。



この日は、天皇が「人間宣言」をする日だったが、ラスト直前、侍従が天皇に「この人間宣言を録音した技師が自殺しました」と話す。
あたしゃ、映画館では
「ちょ、ちょっと待て。ハッピーエンドで終わりそうなこの話で、なんでそんなの入れるんだ???」
とかなり混乱したのだが、今あらためて町山智浩ブログを読み直したら一応は腑に落ちた。



英霊の聲 オリジナル版 (河出文庫)

英霊の聲 オリジナル版 (河出文庫)

「などてすめらぎはひととなりたまひし」という声を無視はできなかったということなのだろうな。
冷たい拒絶であっても、いったんは対峙し、そして乗り越えなければならなかった、のだろう。


さて、本日、そのお方の、曾孫に当たられる方がご生誕なされた。
彼は「太陽」として輝くのだろうか。
そのときの日本は。



そしてそこから、さらに続く↓