昨日、8/18付の産経新聞にて、1ページの1/3ぐらいをつかった大きな囲み記事で「小泉の靖国参拝を受けた、小沢一郎の戦略」という記事が出ていたが、この中で、先行してネットでは話題になった「小沢一郎の国会答弁」の話が記事及び一覧表になっている。
これはこういうものだ。今検索してみたところでは
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/104/1050/10404021050005c.html
■小沢一郎、昭和61年4月2日の国会答弁
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質問者:社会党、佐藤三吾議員
小沢 「靖国神社は戦没者を祭っている。その追悼ということで、
誰もが自然の気持ちで行くべきものであると思う。
私もそのような自分の気持ちが沸いてきたとき、時間が許せば今までも参拝してきたし、するつもりである。
佐藤 「公式参拝については?」
小沢 「国務大臣であろうが無かろうが、今後も行きたいと思う。」
佐藤 「A級戦犯合祀について?」
小沢 「基本的に、お国のために、一所懸命、その是非は別として、戦ってそれで亡くなった方であるから、
そういう戦没者に参拝することによって、誠の気持ちを表す、また自分なりにそれを考えるということである。
従って、A級であろうがB級であろうがC級であろうが、そういう問題ではないと思っている。
たまたま敗戦によって戦勝国から戦犯とされた人もいる、あるいは責任の度合いによっていろいろランクを付けられたが、その責任論と、私たちの素直な気持ちと言うのは、これは別個に考えていいのではないか」
というもの。・・・・一目瞭然、ちょっと今の立場とは両立しがたい(笑)
小沢一郎は、実は節目節目で大胆に政治的な立場を変えて、1990年代の主役で在り続けた。
これぐらいは「後で勉強して、思想が変わった」とか言えばいいんじゃないかとは個人的に思うが、今度は「どういうふうに思想を変えていったのか」という説明もしなきゃならんから厄介ではあるね。
そもそも、いまの小沢をどういう層が支えているのか。
もし、小沢を90年代に支えた「都市的急進保守」(急進保守ってのも奇妙な言い草だが)から、リベラル層に軸足を変えることに成功しているとしたら、それは政治という何でもありの世界の中でも、一大のアクロバティックな芸術だといえるだろう。