(仮)さんも着ていることだし、ドラえもんについて「藤子不二雄ファンはここにいる」サイトを参考にいくつか暖めていたネタを書いておこう
泣けましたか、「おばあちゃんのおもいで」
http://d.hatena.ne.jp/koikesan/20060616
●6月30日
「キャンデーをなめて歌手になろう」(8巻)
「ジ〜ンと感動する話」(9巻)
「おばあちゃんのおもいで」(4巻)
げ!「もうすぐ始まりますね」と紹介するつもりでいたのに、一週間違えていたーーー。昨日放送したのかい。ごめんすまん。
お茶の間のみなさんが滂沱の涙を流したことは想像にかたくない。それも見ていた子供たちでなく、付き合っていたおとうさんおかあさんがたが、だ。
この「おばあちゃんの思い出」は世上に名高い大傑作としてしられ、ドラえもんの中で長編劇映画とならんで同時上映される、泣かせる話をよりすぐりで選んだ「感動シリーズ」としても製作されていると聞く。というのは、当時の上司がやはり子供をつれて映画館に行き、涙涙で帰ってきたというのだ(笑)。
いや、あれは結婚がどうこうって別の作品だったか。
【補足】検索すると、5作ほど映画の「感動シリーズ」はあるようだ。「ぞうとおじさん」は無いのか。
実はこの名作シリーズのほうは、プロ中のプロ(By村上世彰)たる声優たちも泣かせる仕上がりだったそうだ。

- 作者: 大山のぶ代
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2006/05/26
- メディア: 単行本
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によると、この名作シリーズを読んでいると、泣けて泣けてしょうがない。しかし、涙を流すままにしていると、鼻声など声に影響してアテレコが続けられなくなる。そこでどうするかというと、お辞儀するような態勢になて、涙が垂直に床に落ちるようにするんだそうだ。これなら鼻に影響は無い。
そして、一点に落ちた涙はいつしか表面張力によって「涙の山盛り」になる。それがこの感動シリーズでは各俳優によって、いくつもできていたーーという!!
まるでヒンズースクワットの汗で水たまりができたという昭和プロレス道場のような。みな、酸いも甘いもかみわけた大ベテランなのに。
そういえばこの本だと、「のび太とドラえもんは喋りが一番多いので、声の重なりをさけるために離れて立つ」とか書いてあった。
前、岡田斗司夫がこの放れて立つ光景を「両声優の仲の悪さの証明」とか鼎談集で言ってて、ここでも紹介したことがあったが、大山女史の言うことが本当なら証拠にはならない、すまぬ。
若手の創作もあなどれない。
http://d.hatena.ne.jp/koikesan/20060627
ドラえもんの耳が工作用ネズミロボットにかじられた経緯:ドラえもんがまだ未来の世界にいる頃のこと。ある日セワシは、粘土でドラえもんの人形を作っていた。ところが、どうも耳だけがうまく作れない。そこでセワシは、工作用ネズミロボットに「このドラえもんの耳をもう少し似せたいんだけど」と指令する。その指令を誤って解釈した工作用ネズミロボットは、セワシが作りかけているドラえもん人形のいびつな耳の形に、本物のドラえもんの耳を似せるのだと判断。本物のドラえもんの耳にかじりつき工作を始めてしまう。おかげでドラえもんは、耳をボロボロにされ、それが原因で耳を失ってしまう結果となった。
俺の時代は、こんな凝った設定はなかった。
昔のコロコロは「ドラえもん質問箱」と称し、読者からのガチな質問を受け付けて、後付で(藤子プロのスタッフが)設定を考えるというひとりシャーロキアンなことをやっていた。考えてみりゃ無謀でさ、同じように人気だった「キン肉マン」や「魁!!男塾」でこれやってみ?
早晩、作品が崩壊するから(笑)
それはともかく、このブラックユーモアやギリシャ神話のような感じすら漂う「耳を似せて」話は非常によくできている。
藤子・F・不二雄が関わったドラえもんだけが真実である、という原理主義に近いところに小生はいて、「ドラベース」とか「ドラえもんズ」なんつう愚考というか宗教的冒涜の話をきいてますますその感を深めていた。だ
が、こういうふうに若手がF先生の手を離れて、より洗練させていくことも、これからはあるのだろうな。
最後は周辺の話。
「感動シリーズ」の原作は、たしかにいい話だが、これは別にナンセンス性に富んだ作品やSF性を正面から打ち出したものより優っているということではない。ただ、こういうふうにカテゴリーをつくると、その中でひとつの固まりとして評価できるのでこれはいいことだ。
同じく長期連載で幅が広い「こち亀」も、同一地平で論じるのではなく、浅草ノスタルジーなどの「感動シリーズ」は、ナンセンスやハチャメチャスラップスティックとは分けて評価するのがいいと個人的に思う。
なんども論じて、特に賛同者も増えていないのだが(笑)、藤子Fイズムの正統後継者たる椎名高志さん、ひさびさに公式サイトをみるとやや順風満帆という感じじゃないようで(自虐がたっぷり含まれているから額面どおりには受け取れないがね)。
http://www.ne.jp/asahi/cna100/store/news/news.htm
の
http://www.ne.jp/asahi/cna100/store/news/060616/060616.htm
さて、現在ワタシの手元にはサンデー29号の見本誌が届いているのですが・・・あのー、たまにはもう少し前に載っけてもらっても、ワタシは別に困りませんよ?
こういうことをネタにするもんじゃありません(笑)。
さて、のんき具合ではオバQ的なテイストも時折感じるのがあずまきよひこ「よつばと!」だが、実はこれは藤子漫画と肝心な一点で異なっている。
しかし、かの「ダンボー」は、藤子先生のSF魂を受け継いだものだ。というか、ロボット王朝の正統な皇太子だ。
世の中、かくにしてSFは滅びず。
http://ja.wikisource.org/wiki/%E6%AD%A3%E6%B0%97%E3%81%AE%E6%AD%8C
この宇宙には森羅万象の根本たるSFがあり、本来その場に応じてさまざまな形をとる。
それはフランスに下ってはヴェルヌとなり、イギリスに上ってはウエルズとなる
時代が行き詰ると節々となって世に現れ、一つひとつ歴史に記される。
例えば、「少年」にあっては手塚のアトム、横山の28号。テレビにあっては永井豪のマジンガー、ゲッター。
プロレスにあってはメカマミー(とドリル)。
コロコロにあってはドラえもん。サンデーにあっては椎名高志、藤田和日郎。
更にある時はダンボーになり、目が光った。