政治を超えて美はそこにあり
というエントリーは、東京などではもう出し遅れの証文であるが書かせてもらおう。
私はゼロワン・ちからまつりの行われた4・1の翌日、PRIDE武士道が始まる前に靖国神社を寄り道し、歩いてみた。既に桜は、満開からはやや過ぎたころだが、人手はまことに多い。
議論の中心に今やなりつつある、リニューアルなった「遊就館」に立ち寄る時間は無かったが、パル判事をたたえ、その「日本無罪論」(という呼び方は正確ではないが)を引用する碑が立っていた。
さてそれとは別に、外国人の多さも、あらためて感じた。
そりゃ、別にテロの危険があるでもないながら、賛否両論を世界的に呼ぶ施設。そしてそもそも神社、シュラインというもの自体が世界的に珍しい組織だ。
物見高いは世界の常、そういう場所をまずは自分で見てみようという諸国の旅人の訪問はまっとうだ(「参拝」する必要も無い)。それこそ中国韓国北朝鮮の方々も、批判するならばそのために、まずは行って御覧なさいだ。
そして、それとは別に、ただ単に「CherryがSo beautifulだから」という理由だけでこの地に来ている人もいよう。私は美的感覚や色彩感覚はちっとも優れていないと自認するが、それでも桜は、無条件で美しい。その美しさと、たとえば靖国の性格はまったく無関係なのだが、それでもなお。
ここからうろ覚えの話だがソ連原潜が故障が発生し、コントロールを失ったまま、アメリカ原潜と一触即発になりつつ危機を必死で回避するというノンフィクション「敵対水域」という本がある。
この主人公で、部下から絶対的な信頼を得ているソ連原潜の艦長は執拗なアメリカ原潜の追跡や、艦の中の政治将校の妨害に苦しみつつ、まかり間違えば世界戦争にもなりかねない道の回避に心を砕く。
その彼が、たしか何かの関係で浮上した海で、夕焼けを見つめてつぶやいた。
「この国(ソ連)の指導者は狂っている。
たぶん、あいつら(アメリカ)の国も同じだろう。
それでも、世界は美しい」
- 作者: ピーターハクソーゼン,R.アランホワイト,イーゴリクルジン,Peter Huchthausen,R.Alan White,Igor Kurdin,三宅真理
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吉田茂も、「どんな苦しい社会、悲惨な社会でも、一輪の花の美しさに目を留める人々は必ずいるものだ」と語り、それを「吉田政治」のあり方を理論的に歴史に位置づけた高阪正堯が「保守主義の真髄とはこういうものである」と喝破したことがある。
高阪氏も世をさってひさしい今、さて、戦後61年の保守主義とは。
「桜の樹の下には」:梶井基次郎
最初の一節はみな知っているだろうが、通しで読んだことは無いという人も結構いるだろう。いや、さすがにいないかな?
あらためて目を通してみよう。実は3分もかからずに読むことが出来る。
(今読めば、「え?まだ読んでないの?」と教養人を装った自慢もできるよ(笑))
著作権も切れているし、全文を引用したっていいぐらいだ。
http://www.kyotokanko.com/text/sakuranokinosita.html
・・・・・・ 桜の樹の下には屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ・・・
読売新聞の巻頭コラムで読んで、ここでも紹介したが、西洋ではやっぱり「Under the Rose」には忌まわしいものが埋まっている・・・というふうにイメージされているそうだね。
人の感覚は万国共通だ・・・といいたいところだが、実は梶井がそういう概念を日本風にアレンジしただけかも。