・・・・週刊文春」の連載をまとめた「お言葉ですが…」シリーズも(一部は文庫化されているが)すべて単行本の段階で持っている。ところが最新刊の第10巻「ちょっとヘンだぞ四字熟語」を買ったら、あとがきに、売れ行き不振で単行本はこの本でおしまいとのこと。連載は今も続いているのに、である・・・
えええええ。あんなに面白いのになあ。単行本の売れ行きと、雑誌の人気は違うのかしらん。高齢者の読者が多いとも「あまカラ日記」では記しているが、そういう読者は几帳面に単行本を買っていくから、ライトな若い読者層より売れ行きがいいかと思うのだが。
私事ながら私の老父も、高島氏と同年代であることもあり、新刊本などほとんど買わないのだが俺の買った単行本を、奪って読んでいる。
まあ、「文芸春秋で求められる部数に届かない」ということであって、リンク先にもあるように他の中小出版社なら出せるだろう。
高島氏は、「お言葉ですが・・・」以外のコラム集も面白いものね。実質的に世間に知られるようになった
- 作者: 高島俊男
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は今は文春文庫だけど、元は大和書房だし
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もある。 「ほめそやしたり・・・」にある「ぼくのお葬式」という落語のごときエッセイは大好きで、いつか丸ごと紹介したいぐらいだ。
下に続きます。
「まん丸の月」(カルチャーギャップについて)
私は何度か、今後書くメモの中で「まん丸の月」と書いてそのまま放置していたので(笑)、なんのことやらと思っていた人も多かったろう。
これはhttp://d.hatena.ne.jp/gryphon/20060326#p2に代表される中国と日本のカルチャーギャップ、を論じようとしたときに思い出したものです。
高島氏のエッセイによく出てくるのが、青春時代に台湾からの留学生として一緒に学んだ「呉君」という人。優秀な学生なのだがなにやら頑固で、中華文化と日本文化を勝手に翻訳したり共通性があると決め付けて行動するので、それがなんともいえぬユーモアをかもすという人だ。
たとえば「貴様」というのは「貴」と「様」だから、敬称に決まっている。これが敬称でないのがおかしいのだ・・・と言い張り、ずっと二人称を「貴様」で通した。
(いや、実際に日本でも昔は敬称なのだが、「言葉の劣化」というのが起きたのだ。これを高島氏は「お言葉ですが・・・」シリーズで書いている。また、高島氏が(ネットの中でも引用され)中心的イデオローグのひとりとなっている「支那」呼称問題を連想しても面白い)
この彼が、高島氏らが暇つぶしにやっていた「連歌」に参加した(うーむ、学生の暇つぶしが連歌とは、昔は風流だったものよ)。そこで、上の句が「ものすごい美人」をテーマにしたのにつなげた呉君の下の句が
「彼女の顔はまん丸の月」(BJペンのような感じか)
だったので、およそ日本的には美人には見えないイメージに満座は爆笑に包まれた、とのお話。
さて呉君まったく納得がいかず、「何がおかしい、美人を満月に例えるのは古典の常識だ、『面如月』(←まったくしょっぱいことに手元に原文なく、記憶頼りなので完全にこれでいいかは不明)という言葉を知らないのか、まったく『貴様ら』は無教養だ・・・」と熱弁を振るったという。
この話の締めくくりは、老いた高島氏が台湾を訪れる機会があり、ともに老いた呉君と再会する場面。呉君は開口一番、
「貴様、ちっとも変わらんな。」
「久しぶりに聞く『貴様』に、わたしの心ははずんだ」と高島氏は結んでいる。
(「ほめそやしたりクサしたり」にあると思っていたのだが、探してみるとここにはない。前述の通り、原文を参照できず記憶で書いたので、細部が違っていたらご容赦を)
ふたつのアジア文化の断層と、それを乗り越えるものは・・・・
【補足】このエピソードの出典と、細部の違いについてはコメント欄の投稿参照。