3/23の朝日新聞「ワールドくりっく」に、名著「カラシニコフ」を書いた松本仁一氏がアンゴラでWEPが行っている「学校給食事業」のことを書いている。
この戦略と言うのは実にシンプルで、
・内戦と貧困で興廃した国を立て直すには、教育が必要だ。
・しかし、学校に子どもが来ない。親にそんな余裕が無いからだ。
・じゃあ、学校で無料給食をすればいい!昼に一食タダで食えるなら、親も喜んで行かせるだろう。
結果から言うと、松本氏の取材の範囲では大成功で、02年に学校が再開されたクバル地域では1500人の児童中、400人しか来なかった。しかし04年に給食が始まるとおよそ9割の約1400人が登校し、午前、午後の二部制で対応するようになったという。
それはそれでめでたしめでたしなのだが、いくつか心に浮かんだことを。
同記事では、国連世界食糧計画(WFP)が「給食を思いついた」とあるが、これが驚きでして、「貧困国の教育向上を目指す。 そのためには無料給食を(文字通り)「エサ」にして、子どもを集めればいい」というコンセプトは私はどこかでとっくに聞いていた。
たしかこれだったと思う。
神さま、それをお望みですか―或る民間援助組織の二十五年間 (文春文庫)
- 作者: 曽野綾子
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1999/10/10
- メディア: 文庫
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曽野綾子の本って基本的には性に合わないのだが、この本は物凄い名著である。なんかボランティアの元締めになっているので、寄付金を集める側なのだが、そこで見聞きした寄付する側のちょっといい話、使う側のちょっといい話、もらって有効に役立ったもののちょっといい話の集積で、まるで曽野氏まで、いい人のように(笑)
それは余談として、この本だったかどっかに、たしかに上記の事業は載っていた。これは基本的にキリスト教的な援助組織なので国連機関とは確かに縁は薄い。が、そういう「アイデアの共有」までどこかで滞っているのでは問題だろう。
んで、援助内容の話にもういちど戻ると、なにしろ経済大国日本でだって「給食だけが楽しみだ」と通うガキはごまんといるわけでね(笑)。アンゴラでいきなり3倍になっても驚くには当たらない。朝は佐藤たっぷりの麦おかゆ、昼はシチューととうもろこし粉。
プリンがあって、だれかが風邪で欠席したら大変だろうなあ。
「団地ともお」かよ。
だから、この事業は体験的に「効果的援助だ」と思うのさ。
http://www.wfp.or.jp/activities/sfp.html
100万ドルで26000人を助けることができ、日本が昨年提供した112万ドルは3万人を学校に通わせたが、日本のODAは100億ドルだという(その1万分の1)
じゃあ増やそうじゃないか、といいたいところだが、国連機関というのがどこまで信用できるか、という話もあるな。
非能率極まるという話は最近よく聞くが、世界中から集まって無理に英語やフランス語を公用語にしてやっているのだからある程度は仕方が無い。
ただし、北朝鮮での活動や、同国からの撤退を決めた国境無き医師団との論争
http://www.msf.or.jp/news/news.php?id=200302242&key=nkorea
を見ると、WFPって組織はホントに大丈夫かおい、という気になる。
とは言っても、日本が直接アンゴラで、それこそ現地政府の横領を防げるような組織が活動できるかというと主権の問題もある。(本当は、日本の行政組織は何はともあれこういう字事業はそれなりにそつなくやれると思うが)。
結局はWFPを通じてやるしかないとなれば、不信の目を向けつつもWFPをコントロールする。ぶっちゃっけ、WFPのトップに日本人をすえて、日本が中心となってWFPを動かせるようになればな、などと極端に思う。それで成果が下がったら批判を受けよう。
常任理事国になるよりはこちらのほうが現実的かと思うが。
ちなみに、この種の援助の在り方の議論をすると、「実際に彼らは危険な場所で汗にまみれて働いているんだから・・・」という「ならお前がやってみろ批判」が登場することがままある(「ジェシカ・エドワーズ理論」と呼んでもよかろう)が、それが大手を振ってまかり通ると、逆になんでも現場の主張が正しいって話になってしまう。
それは反戦派の未亡人がいうならいいが、タカ派の軍人やカメラマンも「俺は実際に戦場を駆け抜けた。あんたはどうだ?」という風に自身の「意見」を正しいとする錦の御旗になる。