この方が、エリオ・グレイシーが一線を退いたあと、実際にバーリ・トゥードで勝ち続けてグレイシーの名を一躍広めたことはご存知の方も多いはず。70年代?には地上波テレビで、毎週試合をやって毎週勝っていた、なんて話も聞くが実際はどうなんだろうか。
そして、人材育成においても実はグレイシー諸流派でトップというべき手腕があって、マリオ・スペーヒー、ムリーロ・ブスタマンチ、ヴァリッジ・イズマイウ、ビクトー・ベウフォート・・・
いやすげえな。どこのジムでも、一人、二人トップがいたとてそうそう後続選手は出てこないのに。その一方、「柔術があれば非力な選手も勝てる?バカいっちゃいかんよ、相手も柔術の技術を学べば、体力のあるほうが勝つんじゃ」という冷静な見方をいち早く行っていた人でもある。
その後、金銭的トラブル(仲介マネジメント料をめぐる不満)によってこの高弟たちが脱退、今をときめく「ブラジリアン・トップ・チーム(BTT)」を結成。よりによって残ったのがイズマイウ(笑)という、晩年の不幸に見舞われた。
ただ、BTTからの言い分は活字化されることが多いので、銭ゲバのイメージも強まったのだが、その「よりによって」のイズマイウが最後まで残った理由は。
「俺は貧乏で、本当なら柔術は学べなかった。カーウソンだけが「代わりに道場を掃除してくれればいい」といって無料で教えてくれたんだ」という、ちょっといい話もある。
ファイターとしても指導者としても、もっと脚光を浴びるべき巨人であった。
どうか安らかに。