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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

朝日新聞論説委員「恵村順一郎」とは誰か?

昨日付のブログで、合わせて30件近くこの名での検索、来訪があった。
何事ならんと思って調べてみると、小泉純一郎の新年会見で産経・朝日が正反対の社説を書いた後、今度は産経新聞の朝刊コラム「産経抄」←→朝日新聞の夕刊コラム「窓」のやりとりがあったゆえで、窓の執筆者が恵村氏だったということだ。
やり取りの主題は「ほとんどの新聞」とはどこからか?という点で、これはナベツネ読売を”共闘”に引き入れた朝日にブがあると思う。


それはさておき、恵村氏については当ブログも一回だけ、2005年の論座9月号を紹介したときに触れただけだ。「靖国参拝反対論を書いているが凡庸だ」と批判している(笑)。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20050902

それをもう少し詳しく。

たとえば、彼の論文の論理展開能力が弱いなあと感じる部分は、戦犯への軍事恩給が復活したことをどう評価するかで「こうした(恩給復活は戦犯が戦死と同様だという)主張は、戦没者遺族の困窮を救うという福祉上の問題を、A級戦犯が犯罪者ではないという全く別の問題にすり替えている」と書いている(p51)。
が、「法務死」というカテゴリーを組んで、軍人恩給の枠組みの中で支給されていること自体が、国家というフレームの中での法的な扱いとしては、実は靖国という「霊の世界」で神となっているか怨霊なのか(笑)より100万倍重要な話であって、これはちょっと弱いなあと当時読んでいても思ったものだ。引用される大原康男氏の『当時の立法府が戦争裁判による志望者を一般戦没者と同じように公務上の死亡者とみなし・・・国内法上の犯罪と同視しなかった』のほうが緻密に聞こえる。


また、昭和天皇が参拝をやめたのが「A級戦犯の合祀に理由がある」という説に、岡崎久彦氏が三木武夫首相が1975年に「私的参拝」を強調したためだったという反論をしている。
恵村氏はそれに再反論し、「それならなぜ、その3カ月後に天皇は最後の参拝をしたのか。全く筋が通らない」(p52)としているが、これも説得力は感じないなぁ。
天皇の公務、出席行事はかなり前から緻密に計画が決まっているもので、3カ月じゃあ修正は効きにくいだろう。三木参拝の後はスケジュール通りに行ったが、この三木の見解で、今まで問題視されなかった天皇参拝の「公私(政教分離)」も問題視、じゃあその後はやめようか・・・も理屈は通る。
ちなみにA級戦犯合祀は昭和天皇最後の参拝後3年が経過した、1978年。


この夏は賛否合わせて靖国神社論は多数出ていて、多くに目を通したつもりだが、恵村論文は大した視点や切り口はなかったよ・・・と検索来訪者のために、この時期に再論しておく。


ちなみに彼の略歴を転載しておくと
「1961年、大阪府生まれ。京都大学法学部卒。
朝日新聞社会部、政治部、アエラ編集部などをへて、
205年4月から現職(論説委員)」とある。

新兵だったか。張り切ってるなあ。