「おめえはそれでいいや雑誌」の「風速計」今週号にてだ。
あまりに素晴らしい文章なので、消えることを恐れて全文掲載。
注目点を太字にしておく
http://www.kinyobi.co.jp/KTools/fusoku_pt
軽薄にして重篤なる1年(筑紫 哲也)
流行語(新語)はその時々の世相を反映するという。「小泉劇場」「想定内(外)」(以上が大賞)「クールビズ」「刺客」「ちょいモテオヤジ」「フォー!」「富裕層」「ブログ」「ボビーマジック」「萌え〜」が2005年のトップテンだと発表された(自由国民社)。
後世、これを眺めて2005年という年がどんな年だったかを想像する者がいたら、賑やかで明るい年だったと「誤解」しかねない。
あるいは、その年、人々は何と「軽薄」な騒ぎに明け暮れていたのだろうと思うかもしれない。こちらは一面では「正解」とも言える。
では、「軽薄」にはしゃいでいられる余裕のある年だったのか。
これは後世の評価を仰ぐまでもない。
民主主義が独裁を産むというプラトン以来の逆説を招き寄せたのが「小泉劇場」だった。
国家が破産しかねない財政破綻の下で、政治の優先課題の設定は狂い続けており、ついには改憲作業に向おうとしている。
大方の最大関心事である経済動向に明るい兆しが見え始めたことが「想定内」の乱痴気を生んでいるのだが、「富裕層」と「下流社会」との「希望格差」拡大の下でそれは進んでおり、地方衰退(シャッター街)と都市繁栄(六本木ヒルズ族)の対照は鮮やかだ。それは「額に汗する労働は愚か者の所行」という投機型資本主義の隆盛と表裏一体の現象でもある。「アリとキリギリス」の寓話とは逆に、アリは「負け組」なのだ。そういう姿は子どもの教育に良くない、などという論の出る余地がないほど、社会も教育もともに荒廃してしまっている。
おそらく、これから発表される人口統計はこの年が日本人が減り始めた分水嶺であることを示すだろう。質量ともに低下する起点の年かもしれないのだ。
靖国問題という「外交問題」を引き金としてアジアでの孤立が始まった年として記憶される可能性は十分以上にある。内に在っては近隣諸国嫌悪の感情的ナショナリズムの高揚。
しかし、いちばんの問題は、そういう状況について思考するのをやめてしまったことだ。それが「ええじゃないか」の軽薄を生んだ。
流行語の軽薄さはまさに世相を反映している。
しかしあなたの「ヒルズ族」批判、投機的資本主義批判はライブドアのニッポン放送買収の時はあまり仰らず、TBSの楽天買収が始まると出てきましたなあ(笑)
かつて(フジvsライブドア)の筑紫発言
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20051013#p3
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20051014#p5