昨日は「榊原社長の講演録」と「武ZINEサイトの翻訳」という、ブログならではの極めて資料的に貴重な文章を読むことができた。
前エントリで、まずは紹介だけさせてもらったが、もう少し重要な話なので再論させてもらおう。
http://www.doblog.com/weblog/myblog/6267/2042917#2042917
もともと、前田日明氏が記者会見で、フライング気味に発言したのがきっかけ。
・・・彼は自分が韓国係という事実を明らかにしたのみならずひいては敗戦後、日本人の自尊心を立ててくれたのは韓国人であり、これら韓国人がいなかったら、日本格闘技界の発展は難しかったはずだと日本人の神経に触れる発言をも躊躇しないことで、韓国人の鼻っぱしを立ててくれた。
特に彼は秋山成勲や金原弘光など韓国係選手たちの名前をチュ・ソンフン, キム・ワンホン(註:今回の報道と呼び方が違う理由は不明)などにいちいち変えて呼び、・・・・近くの席にいた谷川貞治FEG代表の表情は深刻に固まった。
全文はhttp://d.hatena.ne.jp/gryphon/20051007#p1
しかし、「金原弘光」だけぽつねんと金原弘光としてカードに組まれたというその後の推移を見て、「本人は触れないことを望んでいるのかな?(前田がまた暴走したかな?)」という疑念も出ていた。
しかし、そうではなく、金原は今回の「キム・ホングァン」拒否の理由は、国籍や通名、本名の話ではなく、「格闘家のリングネーム」としての”金原弘光”に、愛着と誇りがあってのものだという。
・・・金原弘光は単純に日本名ではなく、彼が格闘家としてデビューして以来15年間使って来たリングネームだ。したがって格闘家として、自らその名前に持つ愛着やファンが受け取る名前の意味も特別なものがある。本名と関係なく、リングに立った時の自分は金原弘光である時にもっとも堂々と振舞えるということだ・・・
実際のところ、「国籍は公には触れて欲しくない」という部分が本当にないかというのを再確認したら、再び微妙になる気もするが、少なくともオフィシャルに韓国メディアに発言した以上、これが公式見解と考えよう。
だから書くけど、上の過去エントリに書いた「ある外国のシュート系格闘技大会」というのは2001年のアブダビ・コンバット大会、選手は金原弘光選手、国旗は韓国国旗です。
彼は自分が韓国語ができないという事実のために悩んだと言う。キム・ホングァンという名前を使って韓国人として出場するのに、韓国語ができずに日本語で話さなければならないという事実が、韓国のファンに申し訳なく感じられたのだ。そんな何でもないことで・・・と
・・・金原弘光は、まだキム・ホングァンという名前が書かれた大韓民国のパスポートを持つ在日韓国人である反面、高日明やチュ・ソンフンという韓国名を使った前田日明、秋山成勲は既に日本に帰化した韓国系日本人・・・もちろん在日韓国人として帰化を選択するかしないのかは全面的に個人的選択であり、帰化を選択したことについても、我々はそれについてむやみに是とか非とかを評価することはできない
韓国社会も変わってきたな、と思うのは、10年20年前では「韓国籍なのに、祖国の言葉を話せないとはどういうことだ!」とか「日本国籍取得は”民族の自殺”だ!」という言説がふつうに流れていたということである。
(姜信子「ごくふつうの在日韓国人」など参照)
今でも無いとは言わないが。
「在日」と韓国と、そして格闘技に関しては講談社ノンフィクション賞を受賞した「コリアン世界の旅」
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でも書かれている話がある。
まだまだ玄界灘の隔てる距離が遠かった70年代、当時はボクシング人気も今よりさらにあったし、韓国ボクサーも日本ボクサーも世界での位置が高かった。
その際の「日韓対決」で、韓国に呼ばれる選手は、何がしかのつながりがある在日系選手。
父母の地として、多少のロマンチックな思い入れをもちながら彼らは海を渡り、試合に臨むが、絶対にそのルーツが宣伝されることは無かった。100%敵役の日本人、憎憎しい悪役こそボクシング興行を成功させるからだ。
今とは全く比べ物にならないほどのアウェーの雰囲気の中、リングを踏む在日ボクサーの心境は・・・
というもの。やっぱり変わらない部分より、時代の変化に目を向けたいところだ。