INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「朝まで生テレビ!」から。 国民の権利と義務

朝生に関して。
まずひとつ、最後に姜尚中氏が「憲法改正」と「徴兵制度」を結び付けていたけど、センセー、そなたは1992年、いまから13年も前、カンボジアPKO法案が成立した際「PKOが出来たら、徴兵制がやってくる!!その足音が聞こえる」とキャンペーンを張ってたじゃないっすか(笑)。岩波書店「世界」別冊(わざわざ出してたんだよ、んなもの)で。


当時の「朝まで生テレビ」でもおなじこといってたな。13年たっても芸風が変わらんつーのもなあ。当時、否定してたのは柿沢弘治だったっけ、なつかしい。今は彼、どこで何をやってるやら。


しかし当時「徴兵制の足音」が聞こえたとして、まだお姿が見えん。連中の足、だいぶ遅いですねえ。



それはともかく、ちょっと気になる点が有る。
国民の義務規定、愛国心養成などのレトリックが無くなったことを「憲法は、国民に守らせるものではなく、政府を規制するものだから、もともとそういう規定は不必要」という論があって、実はこれは小室直樹も以前から何度も強調し、その学派を継ぐ一派(宮台真司橋爪大三郎)や宮崎哲弥も話している。
というか、小生もそうであろうと考えていて何の異論もなかった。


ところが有名法哲学ブログ「おおやにき」にて
http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000242.html
(※リンク先変更されていました)

・・・ちゃんとしていてくれれば何も私なぞがしゃしゃり出てトンデモを嗤う必要などないのである。しかし現実には、「憲法は国家権力に制約を加えるためのもので国民の義務が規定されるのはおかしい」などという妄言俗説をたしなめるどころか助長している人々が当の憲法学者たちの中にいる。・・・

どのへんが「妄言俗説」なのか。
ここから先は、なにしろシロートの思考なので、たぶん逆に、さらに妄言俗説を拡大するんじゃないかと思うのだが、自分なりの考えを述べよう。


たぶん、最初の憲法マグナ・カルタやなんやかやにおいては、そういう考え方で善かったんだと思うんですよ。もともと国を王様が支配し、全ての権利、権限、権力を王様が持っていた時には、国民(もしくは「特権」ある階級)のほうが王様に「あんたはXXはするな、○○しなさい」と、あちらの一方的な義務として要求し、守らせていた。
これは、国が王様の持ち物であることを前提として、「せめてこれだけは守れ!」というものだったからだろう。
しかし、いま現在、曲がりなりにも「主権」というものを、国民自身が所有するという建前のもとに国が有るとき、要求する先はどこか。

たしかに「権力」というものは、人間社会があるときは常に存在している。
しかし、タテマエであれ名目であれ、その主権者が国民であったときに「『お前』はXXするな」の持って行き先はどこか、という話になると「あ、おれだ」という話になる。


だから、国民に対する義務規定ってものがあってもいい・・・という結論になるのかな、などと思う次第だ。もともと「主権」ってだれがどう持っても、実体なんて無くて百もしないシロモノである、という議論もあったよな。

これは例の呉智英氏の処女作

封建主義者かく語りき (双葉文庫)

封建主義者かく語りき (双葉文庫)

でも分かりやすく示されているね。
「国家は『借家』で十分である」というタイトルで、リンカーンの有名な「人民の人民による人民のための政治」という言葉を引き「人民による」「人民のための」は実際に必要な理念だが、「人民の」という部分は、ようは気分に過ぎないんじゃないか、という指摘をしていた。
(註:このリンカーン語録に関する有名な誤訳疑惑は、一応置いておく)


例えば「この国の主権は、あの山のお天狗様にある。寄合集はその主権を代行して決めているだけじゃ」なんて法理論の国(どんな国だよそれ)があっても、ホントに天狗がやってこないかぎり、人民主権の国と実質的には代わらないと。それがいい政治か悪い政治かも、また別の問題でしかないと。



イラン憲法預言者ムハンマドからイマーム統治権を継承し、それがイスラーム法学者たちに受け継がれていると、ちゃんと書き込まれているとかいないとか。



あと、「国を愛する心なんてのは抽象的で、しかも人間の内面だから」という消極論、反対論があった。国民投票一本で言論人として活動する今井氏も「国を愛せというけど、愛さなくていいじゃないですか」と端的に言ってたね。これもごもっともな感じはしつつ、こういう素朴かつ初歩的すぎる疑問を持つ。
というのは、現行憲法http://www.cain-j.org/WOTC/Kenpo.html


・・・日本国民は,恒久の平和を念願し,人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて, 平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して,われらの安全と生存を保持しようと決意した・・・


このへんは、「内心への干渉だ」とか「念願しなくてもいいじゃないですか」という話にはならないのかね。こういうのは精神規定じゃないのかな。
まあ、裏づけ・根拠は無いからどういう解決策かは分からん。