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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

後藤田正晴氏逝去

タカかハトか

カミソリ後藤田」「日本のフーシェ」と呼ばれた、政策通・情報通にして官僚の中の官僚、その半面としての護憲派ハト・・・・・・という点で皆さまざまな評価をしている。

この二つは、つながっていないようでつながっている。
というのは、彼は内務省の高級官僚だったわけだが、「官」は自分たちの権限を圧迫する、傍若無人なバーバリアンとしての軍隊に、ある意味一番批判的な目を持っていた存在だったのだ。

「官僚的反軍」というのは吉田茂にもあるし、宮沢喜一にもある。もっと広げて古典的インテリ、エリート層の反軍感情というとナベツネにも、丸山真男などの学者層にもつながるだろう。(もっとも奥野誠亮中曽根康弘はそれほどの反軍感情は無い)

ついでに「憲法改正」についての議論が高まるときに批判的だったのは「国民の声=賢明」という図式が正直彼の頭の中には無かったからだろうと思う(笑)。
「誰よりも民衆を愛した君は/誰よりも民衆を軽蔑した君だ」芥川龍之介が、レーニンを評して)


改憲自衛隊の海外派遣に否定的なことと、ある時期法務大臣がためらうことで執行が長期間停止され、「このままなし崩しに実質停止か?」と反対運動家が期待した死刑をあっさり復活したことは、左右両派で評価は真逆だろうが、同じ根っこから出ているはずだ。


ふたたび筑紫哲也

筑紫哲也の「ニュース23」には計22回登場したそうで「これほど評価が変わった人はいません」とかしたり顔で述べていたし、上に書いたような官僚の二面性を「護民官」と誉めそやしていたが・・・
前にも書いたが君、自分の中曽根内閣時代の文章読み直せって。
戦前にもどるとか軍国主義復活とか、そういう話につなげる文章を書きまくっているじゃん。中曽根康弘は、「彼とは肌が合わない」と公言する後藤田正晴を「官房長官には君しかかいない」とかき口説き、就任させて以降は思う存分腕を振るわせたからこそ、数々の武勇伝を作ったのではないか。


もし評価が変わったとしたら、それはたぶん筑紫氏を中心とする当時の「朝日ジャーナル」(後期は伊藤正孝氏だが)のメガネにだいぶ濃い色がついていたからだよ(笑)。あえて何色かは言うまい(爆笑)。
とにかく、リアルタイムで中曽根内閣の時代に後藤田を評価せず、後付けで護憲ハト派ご意見番だって言ったってねえ。
筑紫氏の80年代の恥ずかしい文章は、朝日文庫で残っているから見るといいよ。全国一斉に学校給食のメニューをカレーにする「カレーの日」までがファシズムの足音になっているから(笑)。


情報力

彼の存在感を裏付けた「後藤田機関」の全貌はいまだ明らかになっていない。たぶん、成功したスパイ活動の常で永久に分からないだろう。
「警察のトップだから当然」との声もあるが、亀井静香氏や平沢勝栄氏はそんな情報力はないらしいと今回分かったしな(笑)。
冗談抜きで、後藤田が認めた(私的)情報機関のトップは、やはり野中広務氏であった(よく考えれば、なぜだ)。野中氏と後藤田氏の関係はどうだったのだろうか。何かで読んだことある気がするが。


佐々淳行

この五訓は、「ヴォルク・ハン三訓」(http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20050223#p1)と同じく、談話からまとめられた教訓だが、そのまとめ手が佐々淳行氏。警察時代のエピソードもよく知っているという強みがあり、後藤田正晴についての後期の最も重要な語り手は彼になった。
彼は某大物新聞記者が「これぐらいお前らも書け!」と若手記者を叱ったほどの詳細なメモを持つこともあり、文章としても間違いなく平易でユーモアある名文だと思う。
欠点は面白すぎて講談調になること(笑)。微妙に記録性も怪しい。


彼はそのものずばり

わが上司 後藤田正晴―決断するペシミスト (文春文庫)

わが上司 後藤田正晴―決断するペシミスト (文春文庫)

という著書も書いている。「連合赤軍 あさま山荘事件」「東大落城」にも重要な登場人物として出ているよ。あさま事件が映画化されたときは、藤田まことが後藤田役だった。

そうだ、わが上司・・・ではペルシャ湾掃海艇派遣問題をめぐり「君らはタカ派でいかん・・・」と佐々らを嘆くシーンもあったな。


その他参考図書

情と理―後藤田正晴回顧録〈下〉

情と理―後藤田正晴回顧録〈下〉

政治とは何か

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