えー、3回にわたって書けばさすがに終わりに近づくな。
いままでの話をまとめると
1、ランペイジのPRIDE離脱(K-1参戦)の話が出ている。
2、その発端は彼自身の掲示板の書き込みなどだ。
3、もともとランペイジは、PRIDEデビューの頃から様々な不満・トラブルがDSEとあった。
4、ただし、それはランペイジの偽悪・被害者意識、そして「黒人意識」による発言も多い。
実にいいタイミングでご教示頂いた欄がある(読んでいたはずなのだが・・・)。
#HAGANE 『ジャクソンが時に過剰なまでに「自分が黒人である事」をアピールする件に関しては、ひねりんさんのblogで紹介された、米国向けPPVの放送席に乱入した時のエピソードが印象深いです(http://hinerin.blogspot.com/2004/06/ppv.html)。 この時のアナウンサーはジャクソンに苛められて可哀想ですよね。』
・北米PPV本日の主役、ランデルマンの入場時に
「俺は最初にプライドにやってきたとき、こいつに嫉妬してた。俺がここのtoken black guyになりたかったからな。」
token black guyというのは、白人ばっかのハリウッド映画とかでかろーじて一人だけ出演するよーな脇役の黒人のこと。ストーリーにあまりからまないとこで、典型的な黒人英語をしゃべってステレオタイプな身ぶりを見せたりする。とっとと殺されたり。
・アナ「ジャクソンがヒョードルをテイウダウン・・申し訳ない間違えた。ランデルマンが、です」(バカでー)
ランペイジ「いいよ。どうせ黒人はみんな同じにみえるからな」
アナ「そうじゃないですよう! そうじゃないですよう!」
ルッテン「わはは。日本人もよく(そのテの混同を)やるよね。」
ランペイジ「ああ、あいつらはよく俺のことを、ゲーリーグッドリッジと間違える」
ルッテン「ひゃははは」
いや、毎度のことながらこのブログは重要情報が詰まっているな。2時間ぐらい講演とかしてほしいね。
それから、「PRIDEアメリカPPVの解説者発言」は、翻訳を読むだけで面白い(他にこのブログでは、「武士道(美濃輪vsハイアン)」放送時にヘンゾ・グレイシーやマット・ヒュームが喋り倒した時の記録がある)。高田延彦の解説とどっちに中身があるかは言わずもがなだしな(笑)。このへん、雑誌のコンテンツとしても十分通じると思うんだがどうよ。
まーた、我ながら脱線したな。
実は偶然ながら、この時の試合が、彼のベストバウトとして名高いヒカルド・アローナ戦。
終始世界一の寝技に翻弄されつつも、大逆転を導いたのが必殺のパワーボム、たった一発でした。
このスラム(バスター)に関して、面白い逸話がある。
朝岡”ノーフェイク”秀樹・元格闘技通信編集長はその後、ベースボールマガジン社でムック担当になったのですが、そこで「技」にテーマを絞った一冊を作った。
元大道塾北斗旗優勝者でもある朝岡氏はやはり注目点が普通の編集者とは違っていて、その中に、『効果的な「バスター」のやり方』という珍しい特集があったのだが、そこに登場したランペイジは技術論ではなく
「奴隷として連れて来られ、ずっと貧しさの中で重い肉体労働をさせられていた
黒人の血。その黒人の血が、俺のパワーボムを可能にしているのさ」
と答えていたのであります。これは客観的な事実かどうかというと微妙だと思うが、彼が主観的にそう考えているということが重要だろう。個人史としては、彼は子供の頃から現場工事で体力をつけているし、このスラム系の投げは高校レスリング時代からの得意技。
(紙プロ64号、以下同じ)
「ハイスクールでやってたレスリングでは、スラムの練習ばかりしていたもんさ。それと、俺様の伯父さんは建設会社をやってたんだが、その工事現場の手伝いをしてたんだよ。だからこんな怪力になったのさ」
この話は別の雑誌のうろ覚えなんだが、たしかランペイジの育ったのは、アメリカでも極めて保守的なテネシー州だったはず。彼自身の証言では「俺は優勝者をフォールしていたのに、シットな審判がそれを取りやがらねえから、大会で3位になっちまった」とのことである。
たぶん、さまざまなことで社会に怒りと不満を充満させる「アングリー・アフロ・アメリカン」的な心情と個性を確立していったのだろう。
いちど、突然記者に
「ジョージ・ブッシュ!!」
「な、なんですか?流行語ですか?・・・ひょっとして彼の支持者で?」
「大ッ嫌いに決まってるだろ、この野郎!」
なるやり取りをしていたことがある。
アメリカの格闘技界隈はマストシステムで判定すると、共和党系が強いというのが個人的な見立てだが、彼は当然違うようで。
「ブタ箱に入ったこともある。だから、MMAにトライしてなかったら、ギャングにでもなっていたんじゃねえかな。いまみたいに太陽の光が当たる場所は歩いてねえと思うよ・・・。」
−−プロレスラーへの憧れ、レスリングやMMAとの出会いが、ランペイジさんの人生を変えたわけですね。
「そうなるな。ストリートなら刑務所にブチ込まれる喧嘩もリングの上なら許される。これまでは”肌が黒い”ということだけで差別されたが、今の俺様はポリスだって触ることはできねえ。UNCHAIN(鎖でつなぎとめられない)なのさ。」
しかし、日本に定着した理由の一つは、この種の怒りや被害者意識を、一面で毒のあるユーモアに仕立てることができるだけの頭のよさを持っていたからだ。
上のひねリンブログにある
ランペイジ「いいよ。どうせ黒人はみんな同じにみえるからな」
アナ「そうじゃないですよう! そうじゃないですよう!」
というのは、日本にも通じる「ポリティカル・コレクトネス」の縛りを受けたマスコミへのからかいの意味が多分に含まれているのだろう。これ以外にも、
「どんな練習を?」
「ムエタイ、柔術、それからビデオゲーム」
「今度闘うヒカルド・アローナについてどう思う?」
「(あわざとあくびをしながら)ア・・・ロー〜〜ナ〜。ふぁー、彼の名前を聞くと・・・眠くなっちゃうんだよ」
「俺がファンだったら、試合を見たくない選手の一人だ」
「初めてMMAを見る人が運悪くアローナの試合を見てしまったら、『MMAはこんなにつまらないのか?』ってなっちまうじゃねえか。MMAを普及しようとしているファイターから見れば、悪影響な存在なんだよ」
「チャック・リデルについてどう思う?」
「一言で言うと、モヒカン野郎だな」
「一言すぎますよ!」
など、なにげに桜庭和志ばりのとんちコメントを連発している。
彼には間違いなく、スクールで養うのとは別の意味の”知性”が宿っている。
結論としては、負けや苦戦が続いたとはいえ、やはりクイントン”ランペイジ”ジャクソンは得がたい人材であるだろう、ということだ。
彼を「Nobody」だと呼んだバカなDSE関係者は、一体誰だったのだろうか?
同じくスポーツの中で「怒れる黒人」のイコンとなったモハメド・アリが、記者会見の中で挑戦者に「I am a champion,You are Nobody」と言い放ったのが印象に残っていると沢木耕太郎がかつて書いていた。