コメント欄の話が面白かったので、もう一度再論します。
# くま 『いま、MASTERキートンの話をここで読んで事情を知りました・・・
最近は漫画やアニメからは全く離れていますので。
私はアニメ制作の一員としてMASTERキートンに関わっていましたが
作品とは関係のないつまらない理由による障害というのは
多々起こるもので。今回はそれが結構顕著に現れてしまったという
ことのようですね。』 (2005/05/29 01:09)
# lutalivre 『ご存じかもしれませんが、MASTERキートンについてはこんな情報もありますね
http://number29.ameblo.jp/entry-315dc35e04b85d409d0bfc2c678202d0.html』(2005/05/29 20:30)
コメントへの感想。
キートンは作品的にアニメも含め、続編を作ったり第二期を始めたりしやすいものなのに、自分から長期的ビジネスを捨てたような感じですね。
リンク先の、編集者の話に関しては、実はもっと重大な話を感じますね。
わたしゃ子供のころは、漫画に出てくる戯画化された「編集者」のイメージから、彼らは漫画家に「締め切りはとっくに過ぎてるんです!」と尻を叩いて原稿をひたすら描かせるだけ、というイメージがあったわけですけど、その後はもちろん、漫画家と編集者は入念に打ち合わせて、ストーリーもキャラクターも一緒に創作するものだ、ということを知りました。
で、そしたらやっぱり気になるのは「必死でお話を考えた編集者は、どんなメガヒット作でも印税をもらえないのかな?」ということでした。
そりゃもちろん、一流出版社の給料は相当に高級であろうし、人気作品を生めば社内の地位の向上という見返りはある。逆に大ゴケで打ち切りの時、漫画家と一緒に経済的なリスクを負ってくれるんですか・・・などの理由付けはあるだろう。
しかし、キートンレベルの珠玉の短編を、頭をひねって苦しみながら産んだら「”俺の”作品じゃん!」と思うようになっても無理はない。
小生らも、好きな漫画を挙げていったら「●●先生の大ファン」なのではなく「XX編集者の大ファン」だったとかもあったりするかも。