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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

鉄道事故とゆとりと規律と

例によって30日に「パックイン・ジャーナル」を見ていると、最初に番組で読み上げられた投稿は「私が国鉄にいた頃は、国労が何よりも安全を重んじていたから安全だったのに、JRになって安全が軽視されるようになってしまった。問題の根源は民営化」という内容のものだった。


はて、そんなもんですかねえ。
私は国鉄改革前の諸問題のことをリアルタイムで体感したりはしてないけど、国労やまだ「鬼の松崎」だった動労が幅をきかしていた頃、おしなべて職員は安全管理の点でもモラールが今より低下していたと多くの資料にある気がするんだけど。

実は、いくつかの有力組合って「メディアへの組織的投稿」も戦術のひとつとして採用していて、その慣習が染み付いた組合関係者の投稿ではないかと個人的には推測する。しかし、膨大な投稿の中から「元凶は民営化」的な投稿を真っ先に選ぶパックイン、おそるべし。
それでも、それが理由だというのが有力仮説であるなら、検討はするべきだろうが。



さて、今回はとにかく過密なダイヤ、1分の遅れも許さないような厳密な日本の鉄道システムと、ミスした運転手に対する過酷な「日勤教育」の存在が別に指摘されている。

http://eiji.txt-nifty.com/diary/2005/04/post_0ed7.html

やっぱり、定時運航を、完成された日本社会の、ひとつの誇りとするムードというのがありますよね。
 列車の定時運航なんて、まず外国ではあり得ないことですから。(略)
 この辺り、会社や業界が変わるというのも大事だけれど、それを誇りにして来た日本人の感覚も変えなきゃならんですよね。
 これが外国なら絶対に無理というタイムテーブルで日本の電車列車は運行されているから。

光画部時間でピッタリ!」
「予定時刻に前後二時間の幅を置くのは、光画部では常識だぞ」

と80年代のネタを繰り返すなって。でもこの元ねたは各地で言われる「○○時間」などであって、確かに地域によっては時間を守るということの社会的優先順位が低いトコ、ってのもある。


ただ、これでふと思い出したコラムがありましてね。
記憶によるので正確さはないけど、鴻上尚史が数年前SPA!に、海外の演劇学校に入学した時の体験を書いていたもので、ある銀行に午後行ったら、行員が昼休みを過ぎても全然帰ってこない。理由は「その日は抜けるような青空で、とっても素敵な天気だったから、みんなそぞろに歩きながらゆっくり帰って来たから」なんだそうだ。

鴻上氏はふと考える。
「とってもいいお天気の時、みんながのんびり昼休みを延長して楽しめる社会は確かにいい社会かもしれない。しかし、その代わり、時間通りに銀行に来たのに、何の落ち度がなくても窓口でひたすら待たねばならない社会でもある。どっちのいいところも寄越せ、というのは不可能だから、我々はどっちの社会を望むかを決めねばならない」・・・というものだ。


(【補足】この後、検索してみたら先にこのコラムに関して触れたブログがあった。
たぶん細部は、こっちのほうが正しいでしょうhttp://darumam.exblog.jp/1606787





TK高阪剛も、最初にアメリカに来たときに「いかにアメリカ社会はいい加減につくられているか」という驚きを「ほぼ日刊イトイ新聞」や紙プロのインタビューで話していた。

今の日本は世界的にも相当の「きちんとした社会」である。
私は海外経験が乏しいので実感はないが、実はすごく、ありがたい話だったようだ。
十分な近代的国家であるフランスも相当末端の、例えば各種手続きなどはお役所式であるらしく、最近出た「フランス8つの謎」の中でも謎のひとつとしてあげられている。
たぶん、今後JRを利用する自分も、2分・3分遅れたらそれだけで悪態をつくことになるだろう。


しかし、これが安全を守るために遅れもやむを得ない、てな話であったら、航空会社もそうであるようにある程度はみな許容するかもしれない。
しかし、2、3分の遅れを社会が普通に受け入れられるようになったとして、その「ゆとり」が「安全」を高めるために有意義に使われることになるのだろうか?

そのリンク先に書いた自分のコメントはこれ。

しかし、多少の遅れを社会が許容するとして、それが「安全のためのゆとり、バッファー」にならずに「全体的に規律が緩む」ことで逆に事故を招いたりしませんかね?

というのは今回の事故はともかく、全体的な安全性ではやはりその厳しいドイツ・日本が鉄道事故の犠牲も結局少ない、という話も聞くので。


今回、気になるのは、社会工学というと大げさだが「結局、どういう仕組みが結果的に事故を減らせるんだ?」ということです。「日勤教育」が精神的なしごきやいじめの類であることは大問題なのだが、論点はいろいろある。


「厳しい教育をすると(今回のように)現場でミス自体を隠蔽したり、そのミスを現場で取り戻そうとしてムチャになるからやめるべきだ」

日勤教育は、それなりに(安全面でも)効果的だけど、非人道的だからやめるべきだ」

日勤教育は効果が全くないからやめるべきだ」

それぞれベクトルが違う。
あと「微細なミスをどこまで厳しく問うべきか?」というのも難しい。
たとえば「40mオーバーランを1回でもした運転手は即座に失格、運転業務をやめさせる」という仕組みは、ミスをしないという結果を導くのか、それともミス自体を隠蔽したり、余計なストレスを与えるだけになるのか。

航空会社などはどうやっているのだろう。