だそうだ。で、今日発売の週刊新潮は、「大特集 竹島WARS」だって。
これは現代コリアHP上に、ごく初期に紹介された「独島はわが領土」の翻訳。
独島は我が地(DJ DOCのアルバム収載のもの)
(オリジナル 1982 作詞・曲:パク・インホ 歌:チョン・クァンテ)
5、露日戦争直後に 所有者の無い島だと
わざと言い張っては本当に困るんだよ
新羅将軍異斯夫が地下で泣くよ
独島は我が地(ラップ部分)
タケシマとは何のことだ
竹島(チュクト)とはこれ又何だ
独島は厳然と独島だい
それなのに何で言い張る 言い張るのか
独島がうちの土地と知らないのか
壇君お爺ちゃんが怒ったら
おまえたちはひれ伏してしまうんだぞ
だからこれ以上言い張るな
もともと、韓国のナショナリズムが時々(?)暴走して、なんだかわけの分からないものになっていく・・・・というのを皮肉な目で笑いの対象にするのは、黒田勝弘が徳間書店の文庫などでささやかに紹介していて、一部好事家(俺含む)の間の小さな趣味だった。一時、韓国でスペクターのようなタレントになった野平俊水(水野俊平)のデビュー作「韓国・反日小説の書き方」も、出版当時読んで「ものすごく面白い!」と思ったが、あまりベストセラーにはならなかったようだった。
でも、いまやインターネット上では一ジャンルにもなっている。
その書き手たちの知識、歴史背景に関する造詣の蓄積は間違いなく水準的な日本人・韓国人を超えているし、皮肉やパロディの才能も豊かなのだが、往々にして、根本である−−韓国の論者がつっこまれるそもそもの原因である「どこまでが納得できる意見で、どこからがムチャな表現か」のライン設定を間違えている気がする。
筑紫哲也などの番組をウォッチした文章などは、
かなり評価できる中宮崇氏だが、これじゃ丸でだめだ。
理に落とす説得力も無ければ、人の情にも訴えない。
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=312071&log=20050318