その金平氏の、最近のコラム。
数日前から気になっていることがある。CNNが午後の定時番組のなかで、Inside the Blogというコーナーを毎日設けはじめたことだ。2人のBlog Watcher(女性)が、ブログを刻々とチェックして、どんな項目がブロガーたちの話題になっているかを伝えるコーナー。とうとうこういうことになってきたか、という静かな衝撃。
肯定的なのか否定的なのかは不明。
「従来メディアとブログ」関連では他にも・・・あっつ、先に上で紹介した「むなぐるま」ブログに書かれちゃったな。毎日新聞の「記者の目」でこんな話があった。
むなぐるま経由
http://munaguruma.air-nifty.com/blog/2005/03/post_3.html
記者の目:
ライブドア堀江貴文社長への反論=渡辺雅春(社会部)
◇調査報道は新聞の生命だ ブログに使命感あるか
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20050317ddm004070141000c.html
筆者が交代したばかりの「産経抄」にも、このテーマがあった。当事者だしな(笑)
http://www.sankei.co.jp/news/050318/morning/column.htm
【補遺】なんだ、こっちも先にむなぐるま氏のところで紹介されてら。なんかふたつも先を越されると悔しいな。読んですぐに紹介しときゃよかった
その後、これを受けた展開はあとで。けっこう早めに書きます。
おっと、その前に重要なニュースがあった
http://www.cnn.co.jp/business/CNN200503200008.html
AFPがグーグルを提訴、ニュースを無断使用と
2005.03.20 Web posted at: 16:11 JST- CNN/REUTERS
これらのニュースが消えちゃうのは勿体無いので(あまり言うのは憚られるが)資料室を造って保管した。今は直接行って貰うとして、のちに来た人で直リンクにいけない場合は
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20050313
を(こっそり)見よ。
ここから追加ね。
ネットに対する既存メディアの優位性、あるいは弱点という話は、実は「ガチ!MAGAZINE」第二号で、私たちブロガーらが記者たちと座談するという企画のとき、自分は多少意識的に話題にしていました。
グリフォン (略)U系のワーク云々に関しても、ネットは紙媒体より先に真実を伝えた。私の考えでは、「紙のプロレス」も大体それに合わせるような形で変えていったところがあるんじゃないかと。それと私のように下手糞な英語でもネットを使えば海外とのコミュニケーションが容易くなる。やっぱり昔だったら海外取材なんて、記者さんの特権だったわけですよ。そういうことが、今は素人がクリックするだけで出来るようになった。翻訳ソフトなんかもありますし。
紙メディアのみなさんが本当に選手と信頼関係があるから書けること、調べられることもあるんですが、もう記者の表面的な部分での“特権“というのは、徐々になくなりつつあると思うんです。
高島 要はインターネットの特徴、良さっていうのがイコール紙メディアの弱さだと。
グリフォン そうですね。その一方で、たとえば高島さんのような人は内部に密着しているから、その時に佐藤ルミナはこう呟いた、マッハはこんなことを言ったということは書けるわけですが……。
高島 でも、それは紙メディアとインターネットの違いではなく、ネットを媒体とする記者の方も存在するのだから、紙メディアとネットの差ではないですよね。
グリフォン ただ、紙メディアっていうのは、ある種、伝統があって大きな資本があって、それでやっぱりそれなりの信用もありパワーもあるから、やれるわけですよね。ただし、そこでしがらみっていうのは当然出てくるわけで。紙メディアのみなさんは逆にジレンマで苦しんでらっしゃると思うんですが。
けっこう、いい事を言ってるような気がする(笑)。
いや、冗談を抜きでいうと、わたしは別に卓見を言っているわけではなく、ごく初歩というか基本的な話しか、このときは出来なかったんですが、その分この問題を最初から考えるには適しているような気がします。
例に出てくる固有名詞に一般性がないのは、まあ我慢してくれ。
ガチマガの話に戻る前に、例の多くの記者氏らの「新聞はブログにできないことがある」というのは、単純な話で実際にあります。
だからというかしかしというか、それは毎日の方が
組織的、継続的に社会をウオッチし、報道を続けることが
ブログでは不可能だ。情報を集め、裏付けを取り、その
事実が社会にどのような影響を与えるのかを考慮して
報道するのは、訓練を積んだプロのジャーナリストで
なければできない
と言うのは、たしかに一面では正しいのであるけど、この「プロのジャーナリスト」という定義がクセモノ。ぶっちゃけた話、この”プロ”ってのは使命感や技術というよりは「書くことで、日々の糧を得られる」という即物的な話なんだ、というのが着地点だと思うわけです。
グリフォン (略)プロライターとは、書いて生活の糧を得ていることなんですけど、元々書くということ、表現欲っていうのは、金銭とは結び付かないところもありますから、ネットのみなさんは誰も一銭にもならないのに、書きますからね。
某っち だからボロクソ書くんだよね。金もらってないから好きに書いていいんだから。
(中略)
高島 少しひっかかっていることがあるんですが。先ほど、プロが自分の名前では書けないからネットで書くという話がでましたよね。それって僕からしたら考えられないことなんですよ。僕はこれで食っているから、タダで書くつもりは絶対にない。
最初の引用で高島学氏が述べているように、ネットが媒体の記者もいる以上、紙とネットの差というのはそこではない。要は「書くことで食う」というシステムが新聞やテレビ、雑誌にはあるが、もともと無料で情報に接することが出来るネットを基盤としている以上、今のところブログや掲示板ではそういうシステムが出来ないし、作るのが難しいというだけであるのだろう。
凡庸なる結論だが、この基本を抑えないと何も議論が始まらん。
【参考】2004年10月16日 ブログを書くことは商売になるのか?
http://netafull.net/archives/005760.html。
しかし、記者、新聞、既存メディアが優れているところはあと一点あるわけですが。