INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

韓国有力紙、再び「日王」表記へ・・・産経新聞

WEBには掲載されていないようだが、黒田勝弘氏が2/3の産経に執筆した記事。
金大中大統領時代に、政府では「天皇」と表記することを決定し、新聞などもそれにならって「日王」から「天皇」にしたが、それがまた元に戻った・・・という話。
どっかでだれかが引用するだろう。探してみなさい。というか買えばいいんだ。


さて、意見を申す。
別に新聞が表記を自国、地元の呼称に沿って行うのは自由であって、とがめるべきものではない。
(もっとも「日王」表記は伝統的に定着してたわけではなく、のちの人工的呼称らしいが)
というのは、この前書いた「少林寺マーク」や「ソウルの名称」にも関係しているんだけど、結局「Aという地名、人名、固有名詞を他の国ではBと呼ぶ」ということは普遍的に存在するもので、それは外交文書や政府の公式行事などではそれに沿うというプロトコルがあっていいが、他は自分たちの呼び方に沿っていい」・・・これが普遍的な常識なのである。
なぜかというと名前は特徴を表すもので、その特徴は感じ方が異なる。
ある大都市ひとつも、砂漠から訪れた使節は町中に噴水があるのに驚いて「井戸の街」と呼び、南からの使節は空から降る白いものに驚き「雪の街」と呼ぶだろう。そういうものだ。
いちいちその都市自体が、「うちの売り、象徴は牛丼だ!牛丼の街と呼べ!!」と押し付けるわけには行かないんだよ「いや、うちのほうが牛丼美味いし」とか言われたりしてね。

であるから、ソウルを他国が「京城」と呼ぼうが、「漢城」と呼ぼうが本来ならば別にイイのである。セイロンとスリランカというのもあるな。

井沢元彦は逆に、ともに公式表記でいい、という立場だったかな。
「『日王』は韓国が面積的に小さいから日本では『小統領』と呼ぶ、というようなもの」と語っていたはずだ(逆説の日本史2巻)。ネットでは何がどのように成ったのか知らんが小統領を通り越して「酋長」と呼称してたりする。オイオイ。


あと、表記ではなく読みの話もあるけど、ご存知の通り、これを韓国語読みするのが公平、とかいうのは客観的に大間違い。もともと漢字文明圏において、「山」をサンと読みヤマと読み、しかし互いに字を通し意味が通じる、というルールで2000年やってきたのである。ある意味エスペラントで、実際に「言語統一運動」の一環として、ヨーロッパでも漢字を共通語として採用、お互い「我愛汝」をアイラブユーとそれぞれの言語で呼べば筆談できる!なんて議論がマジメに語られたのである。

韓国は戦後、無理やりハングル表記に切り替えたために、日本の名前をそのまま発音表記するようになり、その後「うちも現地読みしている。そっちも現地語読みで」と要求するようになったわけ。
中国のテレビは、盧武鉉氏をなんと発音しているのだろう。

呉智英氏は、「危険な思想家」で、姜尚中わざわざ「きょうしょうちゅう」とルビを振っている。彼はくれともふさだが、ごちえいと呼んでも可というフレキシブルさゆえ便利。もちろんウーなんとかとか他のアジア言語で呼ばれてもいいようだ。