最初のロボット発表前の96年、当時の研究所幹部がカトリック教会の総本山バチカンへ行ったのも同じような不安だったからだった。人間が人型ロボットを作ることが許されるかどうか。司祭は「ホンダがロボットをつくったのは、神がそれをせしめたこと」と答えたという。
柔軟なように見えて、ゴーマンじゃねえか!と思わないでもないが、だとしたらそれはキリスト教の本質的な傲慢さであって、その中での柔軟性を発揮するというのはこういう形でしかないのだろう。
ちなみに、戸別訪問で知られる某団体はわが自宅に、津波発生からまだしばらくしか経ってないのに、パンフを持参し喜々として訪問。津波を前兆にしたハルマゲドン発生を待ち焦がれていたようです。