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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

象牙の国の乱

コートジボアール、フランス

http://www.asahi.com/international/update/1109/007.html

騒乱のコートジボワール、南ア大統領が和平仲介へ 


 反フランスの市民らによる騒乱が起きた西アフリカ・コート
ジボワールで8日、同国議会のクリバリ議長が、フランス、
コートジボワール両軍の代表者と会談し、治安回復のため両軍
が合同でパトロールをすることなどを提案した。AFP通信に
よると、議長は会談後、「我々は平静に向かっている」と発言
した。しかし、一部の暴徒による襲撃を恐れる外国人約2000
人は、国連や仏軍施設への避難を続けており、完全な治安回復
には時間がかかりそうだ。


今はどうかしらないけど、小生が小中学生のころはカカオ生産の世界シェアは
1がコートジボアール
2がガーナであると教わっていました。
アフリカの国を何カ国言えるかは山手線ゲームの定番ですが、その中では知名度もあるほうでしょうね。
実は5、6年ほど前に、私はこの国のことをある必要で調べたことがあり、それ以上の知識を得た。
その結果は「ほう、非常にうまくやっているじゃないか」という感嘆であった。
初代大統領ルフェボワニ(表記は様々)が、「アフリカの朴正煕、兼李登輝」といっていいほどの、開発独裁者にして、その後まがりなりにも自由化と複数政党制に踏み切った侮れない傑物だったのだ。
(長期にわたり権力を握りすぎたきらいはあるが)


http://wssfroms.hp.infoseek.co.jp/cote.htm

1960年にフランスから独立。以来、西アフリカで最も安定した政治が続き、「象牙の奇跡」と呼ばれる程の経済成長を遂げた。アイヴォリー・コースト、コートジボアール等々呼称は様々、一応国名を直訳すると「象牙海岸共和国」。他のアフリカ国家が必死に石油採掘に挑む中、初代大統領ボワニィがコーヒーとカカオの生産を奨励、結果世界一のカカオ生産国となり、民族紛争も勃発せずに平穏な国家となる。が1999年クーデターが勃発、政情不安定となり現在に至る。



http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/1531/seitou/seitou.html

象牙海岸共和国としては、1990年以来多数党の制度を取り入れ、現在では79政党が存在するといわれている。しかしながら国会議員を擁し、政治に少なからぬ影響力を与えることの出来る主要政党は3党、その他に労働組合系の政党が加わり合計5党といったところである(註;2001年の話)


一番読みやすいのはこれか
http://www.h5.dion.ne.jp/~africa/IvoryCoast/history.html

コートジボアールは1960年8月正式に独立、ウフエ・ボワニは初代大統領になった。独立後アフリカの指導者達は国の発展のためにそれぞれの戦略を打ち出した。ウフエ・ボワニ大統領はかつての支配国であるフランスとの密な関係を保つことを選んだ。

また、彼は工業の発展よりも農業改革を推進した数少ない指導者であった。他のアフリカの国々が工場労働者に比べ農民に低い賃金しか支払わない中、コートジボアール政府は農作物を高値で買い取り、農業の育成を図った。コーヒー豆産業は繁栄し、ブラジル、コロンビアに続いて世界でコーヒー豆産出国の第3位となった。1979年までには世界で有数のカカオ産出国となり、また、アフリカで有数のパイナップルとヤシ油の輸出国となった。この急激な経済発展はこのように農業に拠るものであり「象牙の奇跡」と呼ばれた。他の国々では農業改革は産品の輸送問題に直面し失敗することが多かった。

フランスの技術者はこのプログラムに参与した。他の国々では独立後ヨーロッパ人は国を離れたケースが多かったが、コートジボアールでは逆にヨーロッパ人を招きいれた。コートジボアール国内のフランス人は1万人から5万人へと増加し、そのほとんどは教師や技術指導者であった。1975年には国内の管理者の3人に2人はこうした外国人であり、またそのほとんどはフランス人であった。ウフエ・ボワニは外国に偏っているとの批判もあったが、公約を守る姿勢とその経済発展を前に、それら批判はわずかであった。20年近くコートジボアールの経済は発展を続け、その間、年間成長率は10%弱にまで及んだ。

その当時国民の85%は農業に携わっており、そのため農業発展による経済効果は多くの人々に享受された。また、大農園主が少なく、中小規模の農園が多かったことも一般農民の生活向上に効果的であった。識字率は28%からアフリカ諸国平均の2倍にあたる60%へと上がった。電気は大きな街の全てに普及し、道路敷設は南アフリカ共和国とナイジェリアを除くアフリカ諸国の中では最も進んでいた。


関係ないが、今回これを調べるに当たってサッカーサイトの充実ぶりには驚いたなあ。
サッカーファンは、おのずから視野が国際的になるのかもしれん(除く重慶)。
コートジボアールには、まだ総合格闘技の大物がいないから(笑)


この項、さらにいろいろ続く