実は昨日、ジュンク堂の田中秀征氏のトークショーに出向いた。
田中氏は元国会議員。自民党内で、思想的にはまあいわゆる「リベラル」に属しておりその後「新党さきがけ」(懐かしい…)に参加。1993年の細川連立政権では、内閣補佐官という新しい役職に就き、常任理事国入り慎重論などで名を知られた。その後、自社さ連立政権で経企庁長官。
現在は大学教授で、準レギュラーとして関口宏「サンデーモーニング」のコメンテーターをやっているな。
http://d.hatena.ne.jp/tazan/20040918
彼は自分の思想的系譜として石橋湛山、(宇都宮徳馬)、宮沢喜一・・・のラインを位置づけており、この前、講談社選書メチエから「日本リベラルと石橋湛山」という本を発表、今回はその宣伝を兼ねた会ということだ。
田中は、徒手空拳から職業政治家を目標に支持者を増やし、落選を繰り返しながら国会へ乗り込んだという珍しい経歴(東大卒だが官僚でもないし、企業経営者でも県議上がりでも二世でもない)がある。また、意識的に利益誘導的傾向から距離をおいた活動をし、政策もいわゆる「大文字」に集中していた(結局、目に見える実績があったかというと?だが)。
結局は落選で政界引退に追い込まれ学究の道に入ったのだが、曲がりなりにも赤じゅうたんを踏めたのには、議論・政論が大好きで理屈を好み、高学歴を極めて尊重するといわれる長野の気質風土もあるのかもしれない。
それはそりで。
田中氏は、石橋湛山への共感を込め彼の特徴を紹介していったのだが、ひとつには地元支持者の中で地域への利益誘導などを自己抑制するような、そういう気質の人間をいかに集めるかにかかっているという点があるとの由。石橋は、名取という支持者を持っていた。
戦時中沼津?の市長をしていた時、当局からの「防火訓練」の支持を無視して「避難訓練」を実施、逃げるのかと非難されたが同地区の空襲死者数は抜きん出て少なかったとか。
で、石橋は彼に財政的にも多くを負ったほか、名取は地元からの下世話な要求のシャットアウトのため、自分が汚れ役になったのではないか、と田中氏は推論する。
そういう支持層を手元においたこと、また人事などで「物欲しげでない、反面やらねばいけないところではためらいなく手を上げる」という点が石橋の気質であったという。
「物欲しげでない、という点では小泉、小沢、岡田はすべて水準に達している。
だからこそ決断をしやすい。・・・ただ、その決断が正しいかどうかは保証できない」というと会場に笑いが。ちなみに、小生がその「もの欲しげでない政治家」の話で「田中康夫知事は?」と会場から声を掛けると、田中氏は「知事はよく分からない・・・もう少し見ないと」。
なにしろ、地元ですからね(笑)。ちょっと逃げだとは思うが、マァ仕方ない。
あとは国連への石橋湛山のスタンスや、占領政策への抵抗について。
ひとつのこぼれ話として、「書名の「日本リベラルと石橋湛山」は編集者の強い意見による。自分ではリベラルという言葉を使いたくなかったし、文中にも殆ど出てこないはずだ」
とのこと。
これはけっこう大問題で、アメリカでもリベラルの言葉は悪い意味に転化し、民主党でも「私はリベラルではない」と言明しないと大統領選はおろか、予備選も勝てない状況だ。
これを田岡元帥閣下は「アメリカの民主主義の基盤が弱い証座」としてよく取り上げるが、そりゃリベラルが大失敗を繰り返したからでちょ。
「進歩的文化人」とか元帥閣下の故郷「進歩的新聞(某紙とか)」が揶揄されたからって日本人が進歩がきらいなわけではあるまい(笑)。
「日本リベラル」も、結局はまともな思想的葛藤から確固とした立場を築くということができず、戦場を離脱した敗残兵の偽装になっているのが現状。
さて、そこが私が田中氏のトークショーに来た理由であった。
質疑応答の時間に・・・・(http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20040921に続く)