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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

修斗はなぜ、パンクラスより強いのか?・・・(注意;書いてるうちに方向と結論がねじれてきてます)

題名が刺激的かね?
その前提に異議ありという話は当然でてくるが、まずはこれを前提にしまっす。いろんなのの印象です。
もちろん、VTJ以来グローブを佐山が強引に解禁した修斗と、2000年に移行したパンクラスという時期的な差もあるが、おいらが唱えるのはもっと簡単なリクツ。
こんな話がある。「真珠貝」だったか「牡蠣」だったか、広島だったか和歌山だったか忘れたがこんなストーリーだ。

ある村の、素潜りの貝獲り名人に、よその漁村の若い漁師が
「俺はもっとたくさん貝を採れるよ」といって競争したところ、
若いほうがどう見ても一回の素潜り時間も採集した範囲も劣って
いたのに結果は圧勝だった。

脱帽した名人が、その秘密を尋ねると
「だって貴方は、海の中でこの貝は大きい、これは小さいって
選んでたでしょ?おいらはまず、手あたり次第貝を採って、船の
上でいい貝だけをゆっくり選んでいるんだ・・・」


なーんだ、というな。いや、結論が平凡なのは許せ。要は見出しは東スポ流で、正確にいえばこれはジム・アマ大会制と、練習生制度の比較とすべきで、これはもう、ジム・アマ大会制度の圧勝である・・・ということで決着はついたというべきではないのか。


その証拠としてあたしが例示するのは、皮肉にもパンクラスの入門経緯である。
いろんな記事を見ると、信じがたいことに近藤有己は最初のテストは不合格。
宇野薫も、テストに落っこちて慧舟會へ通うようになった。
美濃輪育久にいたっては、テストの落選が続くので誠ジム所属としてネオブラッドに出場、そこで好成績を残してやっとのことでパンクラス入門が認められたというのは記憶に新しいであろう。
練習生とか半日の入門テストで、才能を見い出すのがいかに難しいかってことだい。


一度「格闘X パンクラス」で、どんな人が入門テストに受かるのか?という問いに、「できてもできなくても、与えられた課題に120%の力を素直に出せる人。ペース配分とか次の種目を考えて流すような人より高く評価します」と話していた。
その方針はたいへんいいことだと思うし、それで選ばれた選手は育ちやすい(あくまで「育ちやすい」)とは思う。
しかし、そこで手を抜く?ようなメンタリティの若者にも、間違いなく才能は「ある」。
そうである以上、間口というか分母が小さくなることは必然だ。
たとえば、パンクラス入門生は、当然のように雑用、しごき、無意味かつ過激ないたずら(主に船木(笑))に耐えて生き残ってきた。


ということは、パンクラスは構造的に、才能ある選手もない選手も「入門テスト完全燃焼類体育会属ど根性目しごき耐性科」の人たちの集まりになるわけ。
しかし、自他共に認める「集団生活になじまない、しごきや先輩後輩は苦手」な菊田早苗が、パンクラスの頂点を制したのも事実であって、要はそんなシトやマイペースな選手や文科系・秋葉系の選手や、あるいは網走系(笑)の人たちも、それぞれ月謝を払えばジムに通えて練習できるわけでしょ?
分母、母集団が違えば、比率が同じでもあるいはパンクラスの育て方が仮に優秀でも、最終的には差が出てくるのだよ。数学的に(←かどうかは知らん)。

http://www.aka.ne.jp/~deguchi/hobby/japan/virtual.html

東郷平八郎日本海海戦の後に語った話として次のようなものがある.
「百発百中の砲一門は,百発一中の砲百門に匹敵する」

これに対して,後に井上成美が次のように批判している.
「百発百中の砲一門と百発一中の砲百門が撃ち合ったら,相手には百発一中の砲九十九門が残る.」

なんか微妙に引用は違うような気もするが、まあいいや。



だいたい、パンクラスも結局そこはもう分かっているはず。
金井ナニガシ(名前も覚えてねえ)以来、新弟子のIsmデビューはもうないではないか。
代わりに出てきているのは、ヌキンポ!であり、大場選手や佐東選手であり、そして何より前田吉朗選手だ。みな、最初は金を払って自分で練習に来て、それで才能を発揮し大活躍するのだ。
おいしくておいしくて、練習生なんか雇ってられるかい。
(選手誘導とか見てるといるから、雇ってるんだろうけど)

あとは、そういう場で実績を出した選手や、他のジャンルで名をなした人を迎えれば練習生はいらん。
(もっとも、そういう人たちがIsm選手を先輩として立てられるか、という問題はあるのだが)。

公認ジムも全国展開しているし、だんだんある一定の線に収斂していくかたちになるだろう。


そこでJTCですよ。(「対人力学」の影響アリ)

要は修斗と張り合う・・・つーと今の現状は、そんな不毛なことはしてないわけですが、要はJTCという大会が、どれだけ有為の人材が頭角を現す場になるか、ってなわけです。むろんJTCで優勝した選手が修斗で活躍することもあるだろうけど。

実は前田吉朗も、JTC優勝者の看板しょってるのです。
つまりマスコミも、稲垣組の前田、パンクラスの前田であると同時に「これがJTC優勝者の実力!」「またまたJTC旋風!」という風に、もっとJTCの価値をぶらさげてみてほしいのですよ。
他のJTC上位者、正直あまり知らなくて。
JTCの各階級優勝者をひとまとめにして、パンクラスやデモリッションのリングでレギュラーと対抗戦をやるとかもいいかも。


で、修斗(アマ組織)とJTCがセ・パ両リーグや芥川賞直木賞のようになればいいなあと思うわけです。むろん関係者はそんなことは思ってないかもしれないが。